「ダイナ・ワシントン」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
編集の要約なし
30行目:
マーキュリーでは[[1948年]]に"Ain't Misbehavin'"がR&Bチャートの6位を記録したのを始めとして、数多くのヒットを生み出した。ポップスから[[カントリー]]まで幅広く歌いこなしたが、中でも[[1959年]]の"What A Diff'rence A Day Makes"は、彼女のスタイルの幅広さを象徴するナンバーとして知られている。ドーシー・ブラザーズによるラテン系のボレロをカヴァーしたもので、ポップ・チャートでも8位を記録する大ヒットとなり、ダイナはこの曲で[[グラミー賞]]も獲得した。
 
ジャズシンガーとしてのダイナは、ブルースやゴスペル色が強い大胆な即興を用いる独特のスタイルを確立し、[[ナンシー・ウィルソン (ジャズ歌手)|ナンシー・ウィルソン]]や初期の[[アレサ・フランクリン]]らに大きな影響を与えた。中でも[[1958年]]には、[[ニューポート・ジャズ・フェスティバル]]に出演。[[テリー・ギブス]]、[[マックス・ローチ]]、[[ウィントン・ケリー]]らとの演奏は映画「[[真夏の夜のジャズ]]」にも収録され、彼女の残した名演のひとつとして知られている。しかし"What A Diff'rence A Day Makes"がヒットすると同系統のオーケストラ伴奏によるポップなバラードの録音ばかりが続くようになり、ジャズに属する録音は行われなくなった。
 
[[1962年]]、当時[[カウント・ベイシー]]や[[サラ・ヴォーン]]らが所属していた新興のルーレット・レコードに移籍する。[[1963年]][[12月14日]]、ダイナはアルコールと痩せ薬を同時に[[過剰摂取]]したことにより、39歳の若さで急逝した。アメリカン・フットボール選手のディック"ナイトトレイン"レインとの結婚の僅か半年後のことであった。ちなみにダイナは生涯で8回の結婚と7回の離婚を経験している。