「ダビ・アロヨ」の版間の差分

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[[2008年]]、[[ツール・ド・フランス2008|ツール・ド・フランス]]では総合30位だったが、[[ブエルタ・ア・エスパーニャ2008|ブエルタ・ア・エスパーニャ]]では第19ステージを制した他、総合でも17位に入っている。
 
[[2009年]]には、[[ジロ・デ・イタリア 2009|ジロ・デ・イタリア]]で総合11位となる。
2010年のジロ・デ・イタリアでは11ステージの歴史的な大逃げに乗って一気に総合順位を上げ、14ステージの[[モンテ・グラッパ]]で総合首位の[[リッチー・ポート]]が大きくタイムを失った為、総合首位に躍り出ることになった。アロヨは15ステージの[[モンテ・ゾンコラン]]における[[リクイガス・ドイモ]]の猛攻をしのいで18ステージまで総合首位を守った。19ステージのモルティローロ峠では[[イヴァン・バッソ]]と[[ヴィチェンツォ・ニーバリ]]を擁するリクイガス・ドイモのグループに上りで引き離されたが、ダウンヒルを苦手とするバッソが雨のモルティローロ峠の下りでスローダウンした状況に乗じ、タイム差を1分まで戻して総合首位を守るかに見えた。しかしゴールのアプリーカに向けた緩い上りを全力で逃げ続けたバッソらに対し、[[カデル・エヴァンス]]、[[アレクサンドル・ヴィノクロフ]]、[[カルロス・サストレ]]らの有力選手らによる追走グループに追いつかれたアロヨは、先頭交代による共同でのバッソ追撃を拒否したヴィノクロフらとともに大きくペースを落とし、このステージ限りで総合首位を明け渡した。
 
[[2010年]][[ジロ・デ・イタリア 2010|ジロ・デ・イタリア]]では11ステージの歴史的な大逃げに乗って一気に総合順位を上げ、14ステージの[[モンテ・グラッパ]]で総合首位の[[リッチー・ポート]]が大きくタイムを失った為、総合首位に躍り出ることになった。アロヨは15ステージの[[モンテ・ゾンコラン]]における[[リクイガス・ドイモ]]の猛攻をしのいで18ステージまで総合首位を守った。19ステージのモルティローロ峠では[[イヴァン・バッソ]]と[[ヴィチェンツォ・ニバリ]]を擁するリクイガス・ドイモのグループに上りで引き離されたが、ダウンヒルを苦手とするバッソが雨のモルティローロ峠の下りでスローダウンした状況に乗じ、タイム差を1分まで戻して総合首位を守るかに見えた。しかしゴールのアプリーカに向けた緩い上りを全力で逃げ続けたバッソらに対し、[[カデル・エヴァンス]]、[[アレクサンドル・ヴィノクロフ]]、[[カルロス・サストレ]]らの有力選手らによる追走グループに追いつかれたアロヨは、先頭交代による共同でのバッソ追撃を拒否したヴィノクロフらとともに大きくペースを落とし、このステージ限りで総合首位を明け渡した。最終的には総合2位となり、表彰台の名誉を得た。
 
== 外部リンク ==