「第二次イゾンツォの戦い」の版間の差分

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== 戦闘 ==
イタリア第2軍と第3軍が攻勢をかけた[[クラス地方|カルスト高地]]-特にネッロ山-では、死力を尽くした白兵戦が繰り広げられ、双方に甚大な損害を出した。この恐ろしい混戦の中では、[[銃剣]]、[[サーベル]]、[[ナイフ]]、それに様々な金属片やがらくたまでもが戦闘に用いられた。ハンガリー第20師団は、その将兵の3分の2までを失い壊滅、師団は後送された。
 
[[7月25日]]に入り、イタリア軍はサン・ミケーレ山(Mount{{enlink|Monte San Michele)Michele||it}}を占領した。これはそれほど急峻な山ではなかったが、かなり広い地域を制圧できる制高点(高所のため広い地域を視認でき、火砲を管制してその地域を制圧できる点)だった。オーストリア軍はリヒター大佐が指揮する数個の精鋭からなる連隊を送り込み、奪還のため必死の反撃を行ったが無駄に終わった。
 
イタリア、オーストリア両軍が弾薬を射耗したため戦闘は終わった。3週間の戦闘で90,000人もの将兵が戦死した。