「愛の妙薬」の版間の差分

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原聖 (会話 | 投稿記録)
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== 作曲の経緯 ==
[[ミラノ]]のカノビアーナ劇場では5月の舞台にオペラの新作を登場させるべく、ある作曲家に新作を依頼していたが、依頼先が突然の作業を突然放棄に及んだしてしまった。期日まで1か月の短期間であったため、支配人アレサンドロ・ラナーリは速筆で知られていたドニゼッティに泣きつかんばかりに新作オペラを依頼した。
 
ドニゼッティの条件は、すでにオペラ「アンナ・ボレーナ」で作業を共にしていた人気台本作家ロマーニ(当然、彼もまた速筆であった)を使って1週間程度で台本を得ることであった。しかしロマーニといえどもこの短期間に白紙から台本を起こすことは不可能だったものとみえて、彼は前年[[パリ]]でスクリーブがオーベールのために書いたオペラ台本''Le philtre''を翻案し、田舎の村で起きた他愛もない恋愛喜劇2幕物を書き上げた。ドニゼッティはその台本にわずか2週間で作曲したという。前年の[[1831年]]、同じミラノで[[ヴィンチェンツォ・ベッリーニ|ベッリーニ]]が、やはり田舎村での恋愛騒動を描いたオペラ「[[夢遊病の女]]」''La sonnambula''を成功させていたことも、ドニゼッティとロマーニの念頭にあったとも考えられる。