「松柳亭鶴枝」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
16行目:
== 2代目 ==
([[1863年]][[5月13日]] - [[1923年]][[4月1日]])本名:'''高橋喜太郎'''。
最初は[[春風亭柳花]](松平乗房)の門で桜家花雀といい、[[1889年]]、[[1890年]]頃に[[五明楼玉輔#3代目|3代目五明楼玉輔]]の門で言輔となった。[[1891年]]、[[1892年]]年頃に桜家花雀に戻り、[1892年3月に[[八光亭春輔|春輔]]、8月には福輔、[[1895年]]5月に[[三遊亭圓右#初代|初代三遊亭圓右]]の門で右雀、[[1896年]]9月に[[三升亭小勝 (4代目)|4代目三升亭小勝]]の門で勝之助となり、[[1899年]]、[[1900年]]年頃に[[柳家小さん (3代目)|3代目柳家小さん]]の門で2代目を襲名した、先代の初代譲りの生人形を百面相と名を変え演じていた。
 
人物から動物まであらゆる百面相を得意とした。初代から何度も伝授を懇願したが、初代は「よしねぇよ、労多くして功少なしと伝う奴だから、同じ苦労するなら噺を身を入れた方が好いぜ」となかなか教えてくれなかったという。しかし晩年に病床で顔芸を教わり息を引き取ったという美談が残っている。