「北条氏尭」の版間の差分

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== 諸説 ==
長らく、北条氏康の九男[[北条氏光|氏光]]と同一人物とされてきたが、[[佐脇栄智]]の研究で氏尭の生年がはっきりした。その結果、氏康と7歳しか違わないことや[[北条氏光]]の存在も明確になっているので現在は氏綱の四男という見方が支配的である。そもそもこの問題は氏康の子どものうち、明確に生年がわかっているのは、氏政、[[北条氏規|氏規]]と桂林院殿(北条夫人)ぐらいで後は諸説あることが問題の引き金になっている。
 
一方で、氏康の六男(七男説もある)[[佐野氏忠]]と八男氏光は氏尭の子で死後養子に出されたのでは?という説もある。また、娘は[[正木頼忠]]室になったという(北条氏隆の娘または[[田中泰行]]の娘とも)。