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1985年10月の[[北京国際マラソン]]ではゴール前まで茂と争い、同タイムながら2位となった。国際マラソンでの兄弟1・2位独占は世界初の快挙であった。茂が1987年に引退して監督に就任した後も現役を続行。2時間10分台(10分59秒以内)の記録は1988年10月の北京国際マラソンが最後で、それ以後は2時間12~19分前後が主なゴールタイムとなるが、日本の男子選手としては高いレベルで長い選手生活を送った一人である。40歳となった1993年2月の別府大分毎日マラソンでは7位入賞。そして3年後のマラソンで8位となったのを最後に初マラソンから約23年に及ぶ現役生活を退いた。
 
現在では茂の後を継いで旭化成陸上部監督として後進の指導に当たっており、長女の[[宗由香利]]は2010年3月まで旭化成陸上部に所属していた。(退部後も社員として残り、競技は継続している。)
 
茂とは[[利き手]]が異なり、兄の[[左利き]]に対して[[右利き]]である。また、茂はおおざっぱで、天才肌であるのに対して、猛は几帳面で、努力家である。したがって、マラソンへの取り組み方も違い、「マラソンは練習より調整」とし、自分の感性のまま走る茂に対して、猛は「練習あるのみ」とひたすら練習に励んだ。