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[[File:NintendoCards.jpg|thumb|300px|任天堂の花札]]
[[File:Nintendo love tester.jpg|thumb|left|任天堂ラブテスター]]
元々は[[京都市|京都]]で[[花札]]屋として創業した[[玩具]]企業だった。社名は、夏目房之助による取材(『学問』ISBN-10: 4022557370)では任天堂からの回答として「人事を尽くして天命を待つ」が掲載されているが、夏目は「運を'''[[天]]'''に'''任'''せる」が本来の由来ではないかと推測している。詳細は初代社長が死去しているため不明であるが、前社長の[[山内博]]は前述の夏目の推測に近い回答を個人的に呈示している。
 
[[第二次世界大戦]]前、[[日本専売公社]](現[[日本たばこ産業|JT]])と手を組み、タバコと同じ箱のサイズである花札などの[[カードゲーム]]を全国販売した。
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その一方で、2世代に渡ってSCEの後塵を拝していた据置型ゲーム機では[[Wii]]を投入。従来のコントローラのボタンによる操作だけでなく、ポインタと加速度センサーを搭載して直感的な操作を可能とした[[Wiiのコントローラ#Wiiリモコン|Wiiリモコン]]を採用し、これもまた、ゲームの楽しみ方を広げる大きな要素となった。話題性に富んだことで、これまた同時期に発売されたSCEの[[プレイステーション3]]に大きく差をつける結果となり、任天堂は実に10数年ぶりとなるゲーム機市場トップシェアの座を奪還した。これらの影響で、[[スクウェア・エニックス]]が『[[ドラゴンクエストIX 星空の守り人]]』をDSで発売するなど、徐々にではあるがサードパーティーによる任天堂ハードへの回帰が始まっている。
 
これらの任天堂のトップシェア奪還にはハードの売り上げの他にも、山内溥社長の退陣による組織の若返り、[[スクウェア (ゲーム会社)|スクウェア]](現[[スクウェア・エニックス]])との和解、業務用ゲーム基板『[[トライフォース (アーケードゲーム基板)|トライフォース]]』の[[セガ]]、[[バンダイナムコゲームス|ナムコ]]との共同開発、[[オンラインゲーム|オンライン家庭用ゲーム]]の流行など、変革の要素も大きい。
 
こうした成功を受け、2000年代に入って9000円台後半~10000円台前半を推移していた任天堂の株価は、2005年ごろから急騰し、2007年には7万円台を突破した。時価総額も2007年には一時は10兆円の大台を突破し、時価総額では日本企業第3位にまでなった時期もあった。かくして任天堂は日本におけるトップレベルの企業の仲間入りを果たしたが、代表取締役専務の宮本は、こうした任天堂の成長を受けて「もし私が今日、任天堂を受けたいと思っても私の大学の学位では採用されなかったでしょう」と話している<ref>[http://www.kotaku.jp/2009/11/miyamoto_nintendo_recruit.html 宮本茂さん「今の任天堂なら、かつての私を採用しない」]</ref>。
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* [[インテリジェントシステムズ]] (ファイアーエムブレム など)
* [[エイティング]] (くるくるくるりん など)
* [[SRD SUPER REAL DAWRINDARWIN]]
* [[Nintendo Software Technology Corporation]] (ウェーブレース ブルーストーム など)
* [[エニックス]](現・[[スクウェア・エニックス]]) (銀河の三人 スーパーマリオRPG)