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==略歴==
東宮(皇太子)時代から'''明帝'''([[曹叡]])の寵愛が厚く、明帝が即位すると散騎常持になり、やがて武衛将軍になるなど、取り分け厚遇されていた。<br/>
[[239年]]に明帝が病床に伏すと、曹爽は[[大将軍]]の位を賜り、[[司馬懿]]と共に明帝の[[養子|猶子]]である、[[皇太子]]の[[曹芳]](一説では[[曹彰]]の孫)の補佐をすることを命じられた。
 
明帝が36歳で崩御して、太子の斉王(曹芳)が即位すると、曹爽は[[侍中]]の位を与えられ、「剣履上殿」「入朝不趨」「謁讚不名」(剣を帯び、靴を履いたまま昇殿し、小走りに走らずともよく、皇帝に目通りする際は実名を呼ばれない)と言う特権を与えられた。<br/>