「アマーリア・ヴィルヘルミーネ・フォン・ブラウンシュヴァイク=カレンベルク」の版間の差分
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[[ファイル:Amalia_Wilhelmine_von_Braunschweig.jpg|thumb|right|アマーリア・ヴィルヘルミーネ]]
'''アマーリア・ヴィルヘルミーネ・フォン・ブラウンシュヴァイク=カレンベルク'''(Amalia Wilhelmine von Braunschweig-Calenberg, [[1673年]][[4月21日]] - [[1742年]][[4月10日]])は[[神聖ローマ皇帝]][[ヨーゼフ1世 (神聖ローマ皇帝)|ヨーゼフ1世]]の皇后。[[
[[1699年]]に、[[レオポルト1世 (神聖ローマ皇帝)|レオポルト1世]]の事実上の長男である[[ローマ王|ドイツ王]](次期皇帝)・[[ハンガリー王国|ハンガリー]]王ヨーゼフと結婚した。[[1705年]]にヨーゼフが帝位を継承すると皇后となった。
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*[[マリア・アマーリエ・フォン・エスターライヒ|マリア・アマーリエ・ヨーゼファ・アンナ]]([[1701年]] - [[1756年]]) - [[バイエルン大公|バイエルン選帝侯]][[カール7世 (神聖ローマ皇帝)|カール・アルブレヒト]](神聖ローマ皇帝カール7世)妃
唯一の男子レオポルト・ヨーゼフが早世したため、[[1711年]]にヨーゼフ1世が死去するとその弟
アマーリア・ヴィルヘルミーネはオーストリア継承戦争のさなかの
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