「園田高弘」の版間の差分

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=== 帰国後 ===
[[1954年]]に[[NHK交響楽団]]客演指揮者として来日した[[ヘルベルト・フォン・カラヤン]]と[[ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン|ベートーヴェン]]の協奏曲を共演。カラヤンの熱心な説得により、[[1957年]]にカラヤンの推薦状を携えて[[ベルリン]]に留学。フルトヴェングラーの元秘書の知遇と助言を得て、[[ヘルムート・ロロフ]]に入門する。[[1959年]]にベルリン・フィルハーモニー管弦楽団と共演し、[[ドイツ]]・デビューを果たす。これより([[ミュンヘン]]、[[ウィーン]]、[[ブダペスト]]、[[ワルシャワ]]、[[モスクワ]]、[[ミラノ]]、[[パリ]]、[[ロンドン]]など)[[ヨーロッパ]]各地で演奏活動を行い、[[ニューヨーク]]でもデビューを果たす。海外ツアーでは「園田高弘は日本の[[ヴァルター・ギーゼキング|ギーゼキング]]」と渾名され、本人もこの形容に戸惑っていたことが著書から確認できる。
 
=== 演奏・教育活動 ===