「石橋博良」の版間の差分

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しかし、{{jdate|1970|1|31}}空光丸が小名浜港に到着した直後、南岸を北東に向かっていた[[低気圧]]が急速に発達。小名浜港の外に停泊していた空光丸は錨を下ろしていたにもかかわらず、巨大な波の力で[[防波堤]]にたたきつけられ、1月31日6時に沈没した。船長は天候の急変を予想しておらず、一足先に上陸しており助かったが、荒れ狂う海に飛び込んで陸地に向かった乗組員のうち15人が亡くなった。
 
この低気圧は、全国で死者と行方不明者併せて25人、家屋の被害5,000棟以上、船舶の被害293隻にのぼり、当時「台湾坊主」と呼ばれ、[[気象庁]]が後に「昭和45年1月低気圧」と命名した[[低気圧#爆弾低気圧|爆弾低気圧]]で、当時は爆弾低気圧を予測する事が技術的に難しく、更に海上気象提供サービスですら、存在していなかった事がこの事故の原因であった。
 
* 「どうして低気圧がこんなに発達することが予測できないのか、それが不思議だった。せめて危険を回避する情報提供サービスがあればいいのに、それもない。天気予報はサービスになっていない。」