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一般的にこの当時の寺院は権力者の庇護を受け易い街中か、或いはその反対に人里離れた山中の何れかに建立されており、山中に建立された場合は、その山の名称を付与するようになった。
 
やがて唐王朝が衰退すると共に、外護者を失った都市の寺院は荒廃し、比較的山中に寺院を建立する事の多かった[[禅宗]]が、その単純で直截な思想が受け入れられて地方の有力者の支援を受け、[[宋代]]にまで存続し得た。しかし、やがて寺院が持つ経済力が膨大なものとなり、国家の財政を脅かすようになっていった。そこで[[太祖 (宋)|宋の太祖]]はまず寺院を全て免許制として国家の統制下に押さえ込み、次いで[[五山十刹]]制度を整備して[[ピラミッド]]型の寺院組織を作り上げ、統制を強化した。
 
その制度が[[日本]]や[[朝鮮]]にも伝来すると共に、禅宗寺院を中心に山号を付与するようになったと推定されている。{{要出典}}
 
また、日本の場合、[[延暦寺]]や[[金剛峯寺]]、[[高尾山薬王院]]などは禅宗伝来以前から山号を寺院名に付与しているが、これについては[[最澄]]も[[空海]]もそれ以前から[[霊山]]と呼ばれる山林で修行を行っており、霊山に寺院を建立し、霊山の名称を寺院名に付与する事で、自然の霊力を寺院に付与させようとした事によるものと推定される。