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'''メシュエン条約'''('''Methuen Treaty''')は、[[1703年]]に[[グレートブリテン王国|イギリス]]と[[ポルトガル王国|ポルトガル]]の間で締結された通商条約。調印は[[リスボン]]でなされた。'''メシュエン通商条約'''とも称する。
 
== 概要 ==
[[1580年]]から[[1640年]]にかけて、ポルトガルは[[スペイン帝国|スペイン]]に併合されていた。独立戦争を経て再び独立を取り戻すが、その際に国土が荒廃してしまった。その地に[[ぶどう]]や[[オリーヴ]]を生産したため、ポルトガルでは17世紀後半より[[ワイン]]の生産量が増加していた。その最大の取引先がイギリスであり、対英関係が重視されることになった。こうした中、1703年、イギリス大使の[[ジョン・メシュエン]]とポルトガルの[[アレグレテ侯]]の間で結ばれた通商条約が'''メシュエン条約'''である。
 
この条約によって、ポルトガルは従来の[[保護貿易]]政策を転換させた。すなわち、ポルトガルはイギリス産[[毛織物]]の輸入を受け入れることになった。その代償として、イギリスは[[フランス王国|フランス]]産ワインより低い税率でポルトガル産ワインを購入することになった。
 
メシュエン条約の締結後、ポルトガルのワイン輸出は増大した。しかし、イギリスからの毛織物の流入はそれ以上であり、ポルトガル自国の毛織物産業は壊滅的な打撃を受けた。こうして、徐々にポルトガルはイギリス経済の従属下におかれることになった。17世紀末にポルトガル植民地の[[ブラジル]]で[[金]]鉱が発見され[[ゴールド・ラッシュ]]が発生したが、その利潤もほとんどがイギリスに流出した。また、ポルトガルを通じてイギリスはブラジル植民地へも市場拡大を果たすことになった。こうして、[[ポルトガル海上帝国]]は、[[イギリス帝国]]の傘下へと組み込まれることとなった。
 
==関連項目==
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[[Category:イギリス帝国]]
[[Category:イギリスの条約]]
[[Category:リスボンの歴史]]
[[Category:18世紀のヨーロッパ史]]
[[Category:1703年]]