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[[ファイル:Kamichika.jpg|thumb|220px|1953年4月19日に行われた第26回衆議院議員総選挙で当選したときの神近市子 中央、世界通信より]]
'''神近 市子'''(かみちか いちこ、本名:イチ、[[1888年]][[6月6日]] - [[1981年]][[8月1日]])は、[[政治運動家]]、[[衆議院議員]]。
 
== 生涯 ==
[[長崎県]]生まれ。[[女子英学塾]]卒。在学中に[[青鞜社]]に参加する。青森県立女学校の教師ののち、[[東京日日新聞]]の記者となる。[[1916年]]、愛人だった[[大杉栄]]が、新しい愛人・[[伊藤野枝]]に心を移したことから、[[神奈川県]][[三浦郡]]葉山村(現在の[[葉山町]])の日蔭茶屋で大杉を刺傷し([[日蔭茶屋事件]])2年間服役。出獄後、『[[女人藝術]]』『[[婦人文藝]]』などで文筆活動、戦後、[[1947年]]に[[民主婦人協会]]、自由人権協会設立に参加する。[[1953年]]、[[第26回衆議院議員総選挙]]に旧[[東京5区]](中選挙区時代)で[[左派社会党]]より出馬して当選、6回の当選を重ね、[[1957年]]の[[売春防止法]]成立に尽力した。[[1969年]]政界を引退。[[1970年]]、日蔭茶屋事件を扱った[[吉田喜重]]の映画『[[エロス+虐殺]]』の上映差し止めを求めて提訴したが、「周知の事実」として棄却された。