「アンティパトロス」の版間の差分

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アンティパトロスはアレクサンドロスの母[[オリュンピアス]]とは当初は友好的な関係で、アレクサンドロスは実は彼の子だという噂が流れるほどであったが、この気の強い王母との関係は徐々に悪化した。現に彼女は息子に向かってアンティパトロスを非難する手紙を書き送っている。
 
[[紀元前323年]]、アレクサンドロスはアンティパトロスに新兵を[[アジア]]まで率いてくるように命じ、一方で[[クラテロス]]にベテラン兵たちを本国へ返す任を命じ、クラテロスにアンティパトロスの地位の引き継ぎを命じた(ユスティヌス, XII. 12)。しかし、摂政位の交代は王の死によりなされることはなかった。アレクサンドロスの死は一般的には[[マラリア]]による病死とされるが、[[ユニアヌス・ユスティヌス|ユスティヌス]]によれば、王に親しい友人たちを殺され、ギリシアでの勝利のために王から疎まれ、さらにオリュンピアスの中傷を受けていたアンティパトロスが、王の執事をしていた息子の[[カッサンドロス]]に命じ、王に毒をもって暗殺させたという(ユスティヌス, XII. 14)。
 
== 大王の死後 ==