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== 歴史 ==
母体は[[1971年]]に結成された'''日立茂原バレーボール部'''。[[日立製作所]]茂原工場(2002年に関連企業である[[日立ディスプレイズ]]に事業移行)の実業団チームとして[[チャレンジリーグ (バレーボール)|実業団リーグ]](2部リーグ)で常に上位に君臨し、1980-81年、1982-83年には[[プレミアリーグ (バレーボール)|日本リーグ]]に昇格するも、何れも1年で実業団リーグに降格してしまった。
 
1980年代後半になるとチームは低迷の一途をたどり、1991-92年の実業団リーグ8位で東部[[地域リーグ (バレーボール)|地域リーグ]](3部リーグ)に降格。その後6年間昇格することが出来なかった。
 
[[1997年]]選手の所属は日立ディスプレイズに所属のままだが、企業だけでなく地域に密着したチーム運営を目指し、日本バレーボール界の頂点を目指すという観点からチーム名を[[コップ座]]の星のひとつである「アルカス」から取って'''茂原アルカス'''と改められた。
 
1998-99年の東部地域リーグ優勝。続く西部地域リーグとのプレーオフを制して[[チャレンジリーグ (バレーボール)|V1リーグ]]に復帰。2002-03年、22年ぶりに[[プレミアリーグ (バレーボール)|Vリーグ]]復帰を果たした。
 
チームは単なる企業チームの枠組みにとらわれずに、地元茂原市と周辺地域のスポーツ・文化活動に貢献できるように年間を通して様々なイベントに参加してPR活動を進めていた。
 
しかし[[2005年]][[12月28日]]に、母体企業である日立ディスプレイズを取り巻く経営環境が大変厳しく、経営体質の構築を目指して経営改革を推進させるための一環との理由で、「2005-06年シーズン終了後の[[2006年]][[5月]]って活動休止とし、チームを廃部する」と発表した。その後チーム全体移籍を目指したが受け入れ先が現れ見つからず断念2006年[[5月31日]]もって35年間の歴史に幕を閉じた。
 
廃部の際、当時の首脳陣が中心となったり、Vリーグ及び日本バレーボール協会から独立した新リーグ構想も明らかにされたが、現在のところ実現に至っていない。
 
== 在籍していた主な選手 ==
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*[[田口恵]]
*[[井西彩乃]]
*[[田中弓貴|菅原弓貴]]
*[[松尾留比子]]
*[[船崎恵視]]