「ゴシック様式」の版間の差分
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この時代の様式(厳密にいえば、建築様式)を初めに「ゴシック」と呼んだのは、15~16世紀の[[ルネサンス期]]イタリアの[[人文主義者]]たちである。彼らはこの様式を、混乱や無秩序が支配する野蛮な様式だとして侮蔑の意味を込めて、「ドイツ様式(la maniera tedescha)」または「[[ゴート族]]の様式」つまり「ゴシック様式(la maniera gotico)」だと言い表した。当時は既にゴート族と称される集団は存在しなかったが、「ゴート族」という言葉はしばしばゲルマン人全体を指して用いられ、アルプス以北のドイツ語を話す人々(Tedeschi)のことを指し示して使われたからである。そして「ゴート族」と言った場合には、[[ローマ帝国]]と古典芸術を破壊した蛮族という批判的な見方が含まれていた。
[[ルネサンス]]期以後ゴシック様式は蔑まれ、一部その使用され続けたところもあるにせよ([[ゴシック・サバイバル]])、ほとんど採用されなくなった。しかし、17世紀から18世紀にかけてイギリスにおいて[[ゴシック・リヴァイヴァル]]と呼ばれるゴシック様式再興運動が始められる。以後ゴシック様式が再考されて再び脚光を浴びるようになり、名前が由来するところの侮蔑的な意味合いはなくなるのである。▼
▲[[ルネサンス]]期以後ゴシック様式は蔑まれ、一部その使用され続けたところもあるにせよ([[ゴシック・サバイバル]])、ほとんど採用されなくなった。しかし、17世紀から18世紀にかけてイギリスにおいて[[ゴシック・リヴァイヴァル]]と呼ばれるゴシック様式再興運動が始められる。以後ゴシック様式が再考されて再び脚光を浴びるようになり、名前が由来するところの侮蔑的な意味合いはなくなるのである。
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