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en:168 BC07:45, 20 March 2010を翻訳
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#REDIRECT [[紀元前2世紀]]
前10年紀2= {{紀元前/年代|180}} | 前10年紀1= {{紀元前/年代|170}} | 10年紀= {{紀元前/年代|160}} |
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'''紀元前168年'''は、[[ローマ暦]]の年である。
==出来事==
===ギリシア===
*[[イリュリア]]の王[[ゲンティウス]]は、[[シュコドラ]]で[[ルキウス・アニキウス・ガルス]]の率いるローマの軍に敗れ、捕虜としてローマに連行され、[[グッビオ]]に抑留された。この敗戦によって、イリュリアは[[マケドニア王国]]との同盟関係を失い、ローマとの戦いで[[ペルセウス (マケドニア王)|ペルセウス]]を弱体化させることができた。
*ローマの将軍[[ルキウス・アエミリウス・パウルス・マケドニクス]]が[[執政官]]に選ばれ、ペルセウスに捕えられたローマ軍を率いて[[テッサリア]]に到着した。
*[[6月22日]] - [[ピュドナの戦い (紀元前168年)|ピュドナの戦い]]でルキウス・アエミリウス・パウルスの率いるローマ軍がペルセウスの率いるマケドニア軍に勝利し、[[第三次マケドニア戦争]]が終結した。ペルセウスは捕えられ、残りの生涯をローマ近郊の[[アルバフーチェンス]]で捕虜として過ごすことになった。
*マケドニア王国はローマによって4つに分割され、マケドニアに協力した全てのギリシア人の街が罰せられた。ローマ軍は、歴史家[[ポリュビオス]]を含むマケドニアの名家から数百人を捕虜とした。
 
===エジプト===
*[[プトレマイオス6世]]、[[プトレマイオス8世]]、[[クレオパトラ2世]]による共同支配体制は、ローマに対して支援を求める新たな要求を送った。
 
===セレウコス朝===
*[[アンティオコス4世]]の軍は[[キプロス]]での戦いに勝利し、知事は島を差し出した。
*アンティオコス4世はその後エジプトに再び侵攻し、[[下エジプト]]を占拠して軍は[[アレクサンドリア]]郊外に拠点を構えた。しかしローマの大使Gaius Popillius Laenasがそれに介入した。彼はアンティオコス4世に、エジプトとキプロスから即刻立ち退くよう最後通告を送った。不意を突かれたアンティオコスは検討する時間を求めたが、Popilliusは王の周りの地面に杖で円を描き、アンティオコスがこの円から出る前に明確な回答をするよう求めた。ローマとの戦争を恐れ、王は大使の要求に従うことを決めた。その見返りとして、ローマはアンティオコス4世が[[シリア]]南部を保有することを認めた。
*[[ヤソン]]は[[メネラウス]]に[[エルサレム]]の大
司祭の座を譲り、アンティオコス4世はこれを自身の権力に対する侮辱と捉えた。
 
==誕生==
*[[ティベリウス・センプロニウス・グラックス]]:ローマの政治家([[紀元前133年]]没)
 
==死去==
*[[カエキリウス・スタティウス]]:ローマの喜劇詩人([[紀元前219年]]生)
*[[賈誼]]:[[前漢]]の政治家、詩人([[紀元前200年]]生)
 
[[カテゴリ:紀元前168年|*]]
 
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