「ジェフリー・オブ・モンマス」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
Luckas-bot (会話 | 投稿記録)
m ロボットによる 追加: sh:Geoffrey od Monmoutha
3行目:
 
==生涯==
ジェフリーの出生地は不明である。しかし、彼は[[ウェールズ]]の[[モンマス]]([[:en:Monmouth|en]])で、[[ブリトン人]]の子孫として生まれたとされている。彼の名前から推測するに、彼がモンマスとつながりがあったことは間違いがない。『[[ブリタニア列王]]』(Historia Regum Britanniae)文中でCaerleon([[カーリアン (ウェールズ)|カーリアン]]([[:en:Caerleon|en]])(現在ウェールズの村)の記述を、熟知しているよう示唆しているのである。彼は[[オックスフォード大学]]で学び、そこで助祭の[[ウォルター・オブ・オックスフォード]]([[:en:Walter of Oxford|en]])と出会った。1152年2月21日、[[カンタベリー]][[大司教]][[テオバルド]]([[:en:Theobald of Bec|en]])は、10日前に聖職を授けたジェフリーに、[[セント・アサフ]]([[:en:St Asaph|en]])司教として叙階した。『彼がかつて訪れて、その目で見たという証拠は何もない。』と、文献学者[[ルイス・ソープ]]([[:en:Lewis Thorpe|en]])は述べている。『実際は、[[オーウェン・グウィネズ]]の戦いが、ほとんどありそうにもないこの話をつくったのだろう。』 <ref>ソープによる翻訳に付された序文より。''The History of the Kings of Britain'' (London: Penguin Books, 1966), p. 12.</ref> ジェフリーは、1129年から1151年までの間に6つの別々の特許状があることから実在が証明されている。彼の没年は、ウェールズの年代記に記載がされている。
 
==著作==