「李勣」の版間の差分

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しかし太宗も晩年になると李勣の才を恐れ、[[皇太子]]李治([[高宗 (唐)|高宗]])に対して李勣が忠誠を誓うか否か心配になり、ある策謀を行った。それは李勣を畳州都督へと左遷することであった。太宗は李治に対して「もし李勣が左遷されて、任地へ行くことを渋るようであれば即座に殺せ。もし任地へと素直に赴くようであれば、お前が即位した後に中央に呼び戻してやれ。左遷者を登用する事は大恩であり、それにより恩に感じてお前に対して忠誠を尽くしてくれるだろう。」と言い残して、死去した。李勣も太宗の思惑を察知していたので、この詔勅が出た後に家にも帰らずにその足で任地へと赴いた。
 
李治が即位して高宗になるとすぐに李勣は呼び戻されて[[同中書門下平章事|中書門下三品(宰相)]]とされ、一躍朝廷の重鎮のひとりとなる。
 
===終わりを全うする為に===
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