「山形市立病院済生館」の版間の差分

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*明治8年3月 香澄町旧三の丸大手塁側(現在地)に新築、翌年9月竣工。
*明治9年8月 東京医学校教師長谷川元良を迎えて初代院長とする。三島通庸(初代県令)置賜県・鶴岡県・山形県を統合し、山形県となる。山形県公立病院は、統合山形県に引き継がれ「公立病院」となる。
*明治12年1月 本館三層楼落成。太政大臣 三条実美、病院を「済生館」と命名。8日開院式。同時期医学校設置。オーストリア人医学博士ローレツ氏を教頭に招聘。
*明治15年 医学校を廃止しローレツ氏を解任。
*明治21年4月 山形県が運営から撤退し、医師有志に施設を貸し渡し民間経営(いわゆる民営時代)になる。
*明治37年4月 済生館施設一切を山形市に無償貸下げ、4月1日「山形市立病院済生館」となる。職制を改め「院長」を「館長」と改称。
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*大正10年5月 耳鼻咽喉科新設。
*昭和9年 伝染病棟設置
*昭和20年7月 空襲時の目標になる懸念から、本館三層楼最頂部の建屋を撤去。
*昭和39年7月 救急告示病院となる。
*昭和41年 創建以来の建造物の老朽化、狭隘化により病棟の全面改築竣工。
*昭和41年12月 本館三層楼が文部省より重要文化財の指定を受け、移転復元を決定。
*昭和44年12月 本館三層楼霞城公園内に移転復元完了、「山形市郷土館」となる。