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'''福留 儀重'''(ふくとめ よししげ(のりしげ)、[[天文 (元号)|天文]]18年([[1549年]]) - [[天正]]14年([[1586年]]))は、[[戦国時代 (日本)|戦国時代]]から[[安土桃山時代]]にかけての武将。[[土佐国|土佐]]の[[戦国大名]][[長宗我部氏]]の家臣。隼人佐。[[土佐国|土佐]][[田辺島城]]城主。[[福留親政]](儀実)の子。[[福留政親]]の父。
 
[[長宗我部元親]]に仕え活躍したが、長宗我部氏が[[豊臣秀吉]]の[[四国征伐]]に敗れ降伏し、[[九州征伐]]の先陣として出陣し大敗した[[豊後国|豊後]][[戸次川の戦い]]において元親の嫡子の[[長宗我部信親]]らと共に戦死した。
 
『'''福留の荒切り'''』と称された父親政に劣らず、[[土佐国|土佐]]の[[童謡]]にも'''蛇もハミもそちよれ、隼人様のお通りじゃ'''と歌われる程、武勇に優れる一方、ひそかに[[禁酒令]]を破った主君元親を諌めるなど忠義にも篤い人物であった。[[隼人神社]]に父とともに祭られている。
 
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