「朴憲永」の版間の差分

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'''朴憲永'''(パク・ホニョン、{{lang|ko|박헌영}}、[[1900年]] - [[1955年]][[12月15日]]以降)は、[[朝鮮]]の[[独立運動家]]・抗日鬪士・[[革命家]]・[[政治家]]。朝鮮の[[共産主義]]運動黎明期以来の活動家で[[エスペラント|エスペランティスト]]。[[日本語]]読みは「ぼくけんえい」。
 
== 来歴 ==
朴憲永がソウルにおける共産主義者を統合するまでに、[[平壌]]では朝鮮共産党北部分局を発足させたため、朴憲永は南半部におけるリーダーとなった。のち、朝鮮共産党北部分局は名称を北朝鮮共産党と改める。この段階では、朝鮮共産主義のみならず、朝鮮における政治運動の主流はすべてソウルでの活動にあるとみなされていた。
 
その後同党は他の左派・共産主義政党と合併し「[[南朝鮮労働党]]」('''南労党''')を結成。しかし[[アメリカ合衆国|米国アメリカ]]をバックとする[[大韓民国|韓国]]政府の弾圧を受け、[[1946年]]夏に、米軍政府から逮捕命令が出ると、朴を含む指導部は[[ソビエト連邦|ソ連]]をバックとする[[朝鮮民主主義人民共和国]]へと越境する。一説では、[[1946年]][[2月]]に、新生北朝鮮の指導者に、[[金日成]]と朴憲永のどちらが相応しいかを決める面接が[[モスクワ]]で[[ヨシフ・スターリン|スターリン]]により行われ、金日成に軍配が上げられたとも言われる。
 
[[北朝鮮労働党]]と南朝鮮労働党が合併し、[[朝鮮労働党]]が成立するとその中央委員会副委員長(委員長は金日成)に就任。その後は副首相や外相を務めた。
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