「カルロ・キティ」の版間の差分

 
=== ブラバム・アルファロメオ時代 ===
[[File:Brabham BT46B Fan car.jpg|right|220px|thumb|ブラバムBT46B(1978年)]]
また、キティのエンジンを使用することをアルファ・ロメオと合意した[[ブラバム]]において,再び[[フォーミュラ1]]に関わることになる。[[1978年]]のシーズンではアルファ・ロメオのエンジンを積んだブラバム[[:en:Brabham BT46|BT46(en)]]が2勝を挙げている。
[[ファイル:2005 Brands Hatch A1GP 25 Sept Rodrigo Gallego Minardi F1 185.jpg|right|220px|thumb|ミナルディM185(1985年)]]
また、キティのエンジンを使用することをアルファ・ロメオと合意した[[ブラバム]]において,再び[[フォーミュラ1]]に関わることになる。[[1978年]]のシーズンではアルファ・ロメオのエンジンを積んだブラバム[[:en:Brabham BT46|BT46(en)]]が2勝を挙げている。
 
ブラバムのデザイナー、[[ゴードン・マレー|ゴードン・マーレイ]]は[[グランドエフェクト]]を引き出すために[[V型12気筒|V12]]エンジンを開発するようキティを説得した。[[1979年]]のシーズンとその後のキティの説得により、アウトデルタはアルファ・ロメオの替わりにフォーミュラ1車両を開発する許可を得た。これにより、シーズン終了前にブラバムとのパートナーシップは終わりを迎えた。アルファ・ロメオのフォーミュラ1プロジェクトは成功を見なかった。
 
=== モトーリ・モデルニ時代 ===
[[1984年]]にはキティは新たな会社[[モトーリ・モデルニ]]の設立のためにアウトデルタを去り、フォーミュラ1用のエンジンの製造に集中することとなった。当初はV6[[ターボチャージャー|ターボ]]エンジンを製造し、[[1985年]]から参戦したイタリアのチームの[[ミナルディ]]が使用した。
当初はV6[[ターボチャージャー|ターボ]]エンジンを製造し、イタリアのチームの[[ミナルディ]]が使用した。
 
ターボの使用が禁止されるとあらたにフラット12気筒3.5lエンジンを設計した。このエンジンは1990年シーズンに[[富士重工業|スバル]]の[[バッジ]]をつけられ[[コローニ]]によって使用されたが、重量がかさみまったくの失敗であった。その結果コローニはこのエンジンの使用をシーズン途中で止め、[[コスワース]]に変更された。
 
===死去とその後===
キティはその後もエンジニアとして活躍したが、1994年に亡くなった。
 
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