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後継者の発展―修正
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[[対象関係論]]においては[[リビドー]]と攻撃性が非常に重要である。特に[[メラニークライン]]やその後継者においては[[不安]]や[[迫害妄想]]に焦点が当てられている。[[精神病]]の患者自身を破壊する幻聴などの源泉として死の欲動が援用される。死の欲動や分裂した悪い自我部分は投影性同一視として、幻覚や幻聴を通して患者に帰ってくるという考え方などが言われている。
 
それに対して[[自我心理学]]では死の欲動を広範囲の攻撃性として捉えている。これは[[ハインツ・ハルトマン]]や[[エルンスト・クリス]]によって主張されたもので、そもそもフロイトにおいて死の欲動に相当する攻撃性が適切に把握されていなかったので(年代において言うことが異なる<ref>これもアーノルド・ゴールドバーグの『自己心理学とその臨床』の第四章などを参照。</ref>)、それを自我との関連で精緻統合的に捉えた結果、死の欲動はそれ自体よりもは確認されず、むしろ自我の攻撃性や支配性向などとの関連が指摘して活用されるとしている。特に自我心理学においてはまた「死の欲動は自我」を攻撃性と捉える絡み合って「攻撃的な」という概念は何にでも当てはまる欲動で(例えば友達との競争や何かに勝ちたいという気持ち、それ自体は不確定な存在であに所有す欲求など)、そもそもの概念に疑問符が付されたりもした
 
そして[[自己心理学]]においては、死の欲動は飽くまでも[[自己]]の崩壊産物であり、その本質は自己主張的な性質として、人間の正常な活力として考えられている。攻撃性は本来適切な欲求や感情なのである。しかし患者や他人が適切に反応してくれないと、患者は自己がばらばらになり、その欲求不満を憤怒として表す。これが典型的な攻撃性によって現れる時の[[自己愛憤怒]]である。これに付随して現れ[[抑うつ]]や[[自傷行為]]や[[サディズム]]・[[マゾヒズム]]が生じ。こようにそもそも自己心理学では本質的な攻撃性と、二次的な自己の破壊産物である攻撃性を分ける。そしてフロイト想定し死の欲動むしろ、個人の生得心理的な傾向活力言うよりも、医者を含む広他人が患者に適切う概念反応してくれなかった結果として生じると考置き換えられて把握されている。
 
== 現代への影響 ==