「仏滅紀元」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
7行目:
 
== 使用 ==
使用の始まりは、[[ラーマ6世]]によって[[1912年]]に[[ラッタナコーシン暦]]が廃止され、代わりにタイに導入された事である。導入の背景には西暦を導入するよりは、仏暦を導入した方が仏教の研究上都合がよかったからだと言われている。この紀年法は、当時タイの領土であったラオス、カンボジアにも伝播した。しかし、スリランカやミャンマーの仏暦とは、1年の差異がある。仏暦は[[タイ語]]ではプッタ・サッカラート{{lang|th|พุทธศักราช}}といい、年代を表記するときは頭文字を取ってポー・ソー{{lang|th|พ.ศ.}}と書き、「{{lang|th|พ.ศ.}} 2547」と表記する。修正表は以下の通り。
 
*[[ラッタナコーシン暦]]{{lang|th|ร.ศ.}}…-2324