「メガラニカ」の版間の差分

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=== クック以降 ===
しかし、[[ジェームズ・クック]]により事態が変わった。クックは[[1768年]] - [[1771年]]の[[エンデバー (帆船)|エンデバー号]]による第1次航海の道中の[[1769年]]、タスマンの発見以来白人が訪れていなかったニュージーランドを訪れた。そしてニュージーランドを船で一周し、これが島であることを証明した。さらに[[1770年]]、ニューオランダの東海岸を発見した。まだ全ての海岸線が発見されたわけではなかったが、ニューオランダがメガラニカの一部である可能性はほぼ消えた。こうしてメガラニカはふたたび未発見に戻ったが、さらに高緯度にメガラニカが存在すると考える人は多かった。
 
クックはイギリス[[王立協会]]からメガラニカの発見を依頼され、[[1772年]] - [[1775年]]に[[レゾリューション (帆船)|レゾリューション号]]とアドヴェンチャー号で第2次航海をおこなった。クックは南半球中高緯度を周遊し、[[1773年]]には[[南極圏]]にまで到達した。[[南ジョージア島]]、[[南サンドウィッチ諸島]]、[[クック諸島]]、[[ニューカレドニア島]]、[[ニウエ島]]など多数の島を発見し、巨大な[[氷山]]を見たものの、大陸は見つからなかった。
 
こうしてメガラニカの存在は完全に否定された。ただしその後もニューオランダはテラ・アウストラリスと呼ばれ続け、さらに変化したオーストラリアという呼び名が[[マシュー・フリンダース]]により広められた。