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'''蕭 奉先'''(しょう ほうせん、? - [[1123年]])は、[[遼]]の[[外戚]]。[[契丹]]の名家出身。[[契丹]]名(小字)は'''得里底'''(デリティ)。
宰相・[[蕭継先]]の五世の孫にあたり、蕭昂、蕭昱(蕭昱于?)らの父。蕭嗣先の兄。妹の[[蕭皇后 (遼天祚帝)|蕭元妃]]が[[天祚帝]]の妃となり、梁王[[耶律雅里]](次男)、秦王・耶律定(五男)、許王・耶律寧(末子)を生んだことで、帝に篤く信任された。そのために北院枢密使に任命され、蘭陵郡王に[[冊封]]された。また次男の蕭昱が天祚帝の[[フ馬|駙馬]]([[娘婿]])であった。▼
== 経歴 ==▼
▲妹の[[蕭皇后 (遼天祚帝)|蕭元妃]]が[[天祚帝]]の妃となり、梁王[[耶律雅里]](次男)、秦王・耶律定(五男)、許王・耶律寧(末子)を生んだことで、帝に篤く信任された。そのために北院枢密使に任命され、蘭陵郡王に[[冊封]]された。また次男の蕭昱が天祚帝の[[フ馬|駙馬]]([[娘婿]])であった。
▲== 経歴 ==
弟の蕭嗣先が将軍として、[[金 (王朝)|金]]の[[阿骨打|太祖]]の軍勢と戦って大敗してしまった。従来なら蕭嗣先は天祚帝から[[処刑|厳刑]]を受ける立場だったが、兄のとりなしで罪は問われなかった。以後から蕭奉先の専横もあり、遼の軍紀は腐敗にまみれて、対金との戦いで連敗を繰り返した。
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