「太政官奏」の版間の差分

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== 平安時代の「官奏」 ==
平安時代前期、[[摂関政治]]が導入された[[9世紀]]後半頃から、諸国からの上申文書を太政官が奏上する行為を単に「官奏」と呼ぶようになった。その由来については本来の形式である奏事(太政官奏)を簡略化して成立したとする説と公式令に拠らない略式の奏上が公式化したものとする見方がある。
 
[[清涼殿]]もしくは[[紫宸殿]]に出御した[[天皇]]に対して太政官の職事公卿が奏文を奏上して天皇の勅裁を受けた。古くは[[中納言]]以上の公卿であれば官奏を行い得たが、[[醍醐天皇]]以後には[[宣旨]]によって指名された大納言以上の特定の公卿が「官奏候侍者」とも称される職事公卿として専らこれを行うようになり、[[大臣]]と言えども天皇の宣旨を受けない限りは官奏を行い得なかった。