「ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団」の版間の差分

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[[Bild:Münchner_Philharmoniker_im_Gasteig.jpg|thumb|ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団]]
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'''ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団'''('''Münchner Philharmoniker''')は[[ドイツ]]・[[ミュンヘン]]に本拠を置く[[オーケストラ]]である。略称はMPhil。
本拠地はミュンヘン市内の複合文化施設内にあるフィルハーモニー・ガスタイク。[[1893年]]に創立された'''カイム管弦楽団'''がその前身であり、[[1928年]]にミュンヘン市のオーケストラとなったことに伴い現在の名称に変更された。
==概略==
 
戦前は、[[アントン・ブルックナー|ブルックナー]]の弟子で、その交響曲の「改訂版」に名を残す[[フェルディナント・レーヴェ]]や、その交響曲の「原典版」の演奏の普及に努めた[[ジークムント・フォン・ハウゼッガー]]や[[オズヴァルト・カバスタ]]らが首席指揮者を務めた。また[[1906年]]には、[[ヴィルヘルム・フルトヴェングラー]]がこの楽団を指揮して楽壇デビューを果たした。[[グスタフ・マーラー]]とも深い縁があり、マーラー自身の指揮で[[1901年]]に[[交響曲第4番 (マーラー)|交響曲第4番]]を、また[[1910年]]には[[交響曲第8番 (マーラー)|交響曲第8番]]を初演している。[[1911年]]には[[ブルーノ・ワルター]]の指揮のもとで、[[大地の歌]]の初演も行った。戦後、[[1967年]]には[[ルドルフ・ケンペ]]が首席指揮者に就任。堅実な指揮ぶりと長身で紳士的な振る舞いを見せ続けた彼の人気もあいまって、最初の全盛期と呼べる時期をこの時迎えた。彼が[[1976年]]に死去した後、[[1979年]]に[[セルジュ・チェリビダッケ]]が首席指揮者となり、楽団の名声をさらに高めた。ただ、録音嫌いのチェリビダッケの方針のため、当時はほとんどレコードを世に出さず、[[オイゲン・ヨッフム]]や[[ラファエル・クーベリック]]のもと多くの名演奏を録音してきたミュンヘンのもう一方の雄・[[バイエルン放送交響楽団]]とは対照的に、メディア受けとは一線を画した活動を貫き続けた。[[2001年]]には[[ジェームズ・レヴァイン]]が首席指揮者に迎えられたが、わずか3年でその職を退いた。現在の首席指揮者は[[クリスティアン・ティーレマン]]が務めている。彼の就任記念コンサート([[2004年]]11月)で演奏された[[アントン・ブルックナー]]の[[交響曲第5番 (ブルックナー)|交響曲第5番]]は、現在[[ドイツ・グラモフォン]]の[[コンパクトディスク|CD]]で聴くことができる。次世代を担うドイツ人指揮者と目されている彼がミュンヘン・フィル首席指揮者に就任した際には、ドイツ語圏内クラシック音楽界は大きな期待をかけていたが、2011年にミュンヘンを去ることがすでに決まり、2012年より、チューリヒ歌劇場に転出するファビオ・ルイージの後任として、[[シュターツカペレ・ドレスデン]]の首席指揮者に就任する予定である。尚、このオーケストラは、[[マリス・ヤンソンス]]率いるバイエルン放送交響楽団とハイレベルな競合関係にあり、ミュンヘン市民の大きな誇りとなっており、初演曲や歴代首席指揮者の得意曲、さらには地元が生んだ作曲家という点ゆえ、マーラーやブルックナー、[[リヒャルト・ワーグナー]]、そして[[リヒャルト・シュトラウス]]を得意としている。中でもブルックナーは、[[ハンス・クナッパーツブッシュ]]をはじめ歴代首席指揮者それぞれが、高い評価を得ているレコード・CDなどを残している。
戦前は、[[アントン・ブルックナー|ブルックナー]]の弟子で、その交響曲の「改訂版」に名を残す[[フェルディナント・レーヴェ]]や、その交響曲の「原典版」の演奏の普及に努めた[[ジークムント・フォン・ハウゼッガー]]や[[オズヴァルト・カバスタ]]らが首席指揮者を務めた。また[[1906年]]には、[[ヴィルヘルム・フルトヴェングラー]]がこの楽団を指揮して楽壇デビューを果たした。
[[グスタフ・マーラー]]とも深い縁があり、マーラー自身の指揮で[[1901年]]に[[交響曲第4番 (マーラー)|交響曲第4番]]を、また[[1910年]]には[[交響曲第8番 (マーラー)|交響曲第8番]]を初演している。[[1911年]]には[[ブルーノ・ワルター]]の指揮のもとで、[[大地の歌]]の初演も行った。
 
戦後、[[1967年]]には[[ルドルフ・ケンペ]]が首席指揮者に就任。堅実な指揮ぶりと長身で紳士的な振る舞いを見せ続けた彼の人気もあいまって、最初の全盛期と呼べる時期をこの時迎えた。彼が[[1976年]]に死去した後、[[1979年]]に[[セルジュ・チェリビダッケ]]が首席指揮者となり、楽団の名声をさらに高めた。ただ、録音嫌いのチェリビダッケの方針のため、当時はほとんどレコードを世に出さず、[[オイゲン・ヨッフム]]や[[ラファエル・クーベリック]]のもと多くの名演奏を録音してきたミュンヘンのもう一方の雄・[[バイエルン放送交響楽団]]とは対照的に、メディア受けとは一線を画した活動を貫き続けた。[[2001年]]には[[ジェームズ・レヴァイン]]が首席指揮者に迎えられたが、わずか3年でその職を退いた。
 
現在の首席指揮者は[[クリスティアン・ティーレマン]]が務めている。彼の就任記念コンサート([[2004年]]11月)で演奏された[[アントン・ブルックナー]]の[[交響曲第5番 (ブルックナー)|交響曲第5番]]は、現在[[ドイツ・グラモフォン]]の[[コンパクトディスク|CD]]で聴くことができる。次世代を担うドイツ人指揮者と目されている彼がミュンヘン・フィル首席指揮者に就任した際には、ドイツ語圏内クラシック音楽界は大きな期待をかけていたが、2011年にミュンヘンを去ることがすでに決まり、2012年より、チューリヒ歌劇場に転出するファビオ・ルイージの後任として、[[シュターツカペレ・ドレスデン]]の首席指揮者に就任する予定である。
 
尚、このオーケストラは、[[マリス・ヤンソンス]]率いるバイエルン放送交響楽団とハイレベルな競合関係にあり、ミュンヘン市民の大きな誇りとなっており、初演曲や歴代首席指揮者の得意曲、さらには地元が生んだ作曲家という点ゆえ、マーラーやブルックナー、[[リヒャルト・ワーグナー]]、そして[[リヒャルト・シュトラウス]]を得意としている。中でもブルックナーは、[[ハンス・クナッパーツブッシュ]]をはじめ歴代首席指揮者それぞれが、高い評価を得ているレコード・CDなどを残している。
 
== 外部リンク ==
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