|代表国={{GERf}}
|代表年=2004–
|代表出場(得点)=5166 (1)
|代表成績更新日=2008.10.2010年6月27日
}}
== 経歴 ==
[[ファイル:Per Mertesacker 5dec2006.jpg|thumb|left|200px150px|ブレーメンでのメルテザッカー]]
生まれも育ちもハノーファーで、ユース時代から地元の1995年に[[ハノーファー96]]でプレのユースチームに入団した。[[2003年にプロ契約し、11月1日の[[1.FCケルン]]にトップチ戦でブンデスリームに昇格。ガデビュー直後に鼻を折る怪我をしたが、めきめきと頭角を現し、[[2004年]]にこの時は[[ユルゲン・クリンスマン]]率いる[[右サッカードイツ代表|ドイツ代表]]に19歳、バックとしかもリーグ戦僅か20試合ての出場にして初招集され、以後代表レギュラーの座を掴み、2005年の[[FIFAコだった<ref name="WSD">「控え目なシンフェデレラボーションズカップ]]イ」、[[2006 FIFAワールドサッカップ|2006年W杯]]にもーダイジェスト、日本スポーツ企画出場版社、2007年5月17日号、62-64頁</ref>。[[クリストラルフ・メラングニッツェルダーク]]とコンビを組み、DF監督の要と下、それからしばらくは出場機会がなかった。[[2006が、2004年]][[83月]]はに[[ハノエーフヴァルト・リー96ネン]]から[[ヴェルダ新監督が就任するとセンター・ブバックのレギュラーメン]]を任されるように移籍なった<ref name="WSD"> </ref>。
2004年9月、[[サッカードイツ代表|ドイツ代表]]の[[ユルゲン・クリンスマン]]監督に初招集され、10月9日のアウェーでの[[サッカーイラン代表|イラン]]戦で初出場した。このとき19歳であり、しかもリーグ戦にわずか20試合に出場したのみだった。同年12月のアジア遠征では、韓国、タイとともに日本をも訪れている<ref name="WSD"></ref>。以後代表レギュラーの座を掴み、2005年の[[FIFAコンフェデレーションズカップ]]、2006年の[[2006 FIFAワールドカップ|ドイツワールドカップ]]にも出場。[[クリストフ・メッツェルダー]]とコンビを組み、ディフェンスの要となった。[[2006年]][[8月]]、[[ハノーファー96]]から[[ヴェルダー・ブレーメン]]に移籍。2006年8月には、ハノーファーから100kmほどの近距離にある[[ヴェルダー・ブレーメン]]に移籍した。
== プレースタイル ==
{{出典の明記|date=2010年6月}}
2m近い長身で、空中戦には無類の強さを誇るドイツ代表最大のCBいセンターバック。他を圧倒する競い合いの強さと的確なポジショニングが特徴である。近年セットプレーなどの攻撃時においても高さと強さで活躍が目立つようになってきた。巨体による驚異的な頑強さで2006年の[[2006 FIFAワールドカップ|2006年W杯ドイツワールドカップ]]での対[[スウェーデン]]戦においてでは、現在最もパワフィジカルなFWであるの強さが特長の[[ズラタン・イブラヒモビッチ]]を完封する活躍を見せた。また警告を受けることが非常に少ないクリーンなディフェンダーでもある。
== その他 ==
*{{flagicon|Germany}} [[ハノーファー96]] 1995-2006
*{{flagicon|Germany}} [[ヴェルダー・ブレーメン]] 2006-
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== 脚注 ==
''この項目は、[[Wikipedia:ウィキプロジェクト サッカー選手|ウィキプロジェクト サッカー選手]]の「[[Wikipedia:ウィキプロジェクト サッカー選手/テンプレート|テンプレート]]」を使用しています。<br />
{{Reflist}}
{{ブレーメンのメンバー}}
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