「大島浩」の版間の差分

* 性格は、明るく開放的な一方で、非常に人を信じやすく、癇癪持ちで、一度決めたらなかなか信念を変えず、政治や術策は全く以って下手で、自身も「自分は政治や外交は好きではない」と語っていた。このような性格から、リッベントロップからも簡単に丸め込まれてしまい、結果としては前述の通り、外交面で日本を誤らせる結果を導いてしまった、という分析もある。
* 前述の通り、異常なまでにナチス・ドイツに心酔しており、その事から、[[外務省]]や[[大日本帝国海軍|海軍]]等では、大島を「駐独'''ドイツ大使'''」と揶揄する声も多かった。
* 終生ドイツ贔屓で、晩年までヒトラーを天才戦略家と評価し、自宅の応接間にヒトラーの写真を飾っていたという。
*1945年4月、ソ連軍がベルリンに迫ると在留邦人がまだベルリンに残っているにも関わらず、自らは大使館員と共に温泉地としても有名な[[オーストリア]]のバート・ガーシュタインに避難した。ソ連の捕虜になるより、アメリカ軍に捕まる方がましとの判断からである。当時ベルリンに「決死隊」として大島にベルリン残留を命じられていた[[吉野文六]]の回想によると、大島はベルリンの大使館員にバート・ガーシュタインまで「酒とつまみ」を持ってくるよう命じ、 吉野氏は年配のドイツ人運転手と共に米軍機の機銃掃射を受けながらも、酒とつまみを大島の下に持っていたという逸話がある。
* 大使時代には、[[オペラ]]等のコンサートに度々招待されており、特に[[リヒャルト・ワーグナー|ワーグナー]]が一番のお気に入りだった。
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