「稲荷山駅」の版間の差分

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{{出典の明記|date=2007年6月}}
{{Otheruses|長野市にあるJR東日本の駅|岡山市にあった中国鉄道の同名駅|吉備線}}
{{駅情報
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千曲市稲荷山地区はかつて[[北国西街道|善光寺西街道]]最大の[[宿場]]として栄えた[[稲荷山宿]]で、駅が開業した[[明治時代]]には北信随一の商都として賑わっていた。稲荷山地区に残る伝承では「当時の鉄道一般に対する様々な偏見や風評に基づいた地元の反対運動によって、北側に隣接した[[塩崎村]]に駅名を当初予定の「稲荷山駅」のまま建設された」と伝えられているが、更埴市史第三巻「篠ノ井線の開業」には「宿場衰退の懸念や農民の反対(中略)により誘致に失敗した」と記されているだけで、所在地と駅名の相違に関しての記述は特にない。
 
稲荷山地区がその後も発展を遂げていれば周辺部とはいえ同一視できる距離であったが、鉄道から切り離された事が災いしてその後商業地としては衰退。駅周辺部も元々何もない場所に建設されたことから特段の発展も無く、現在も駅周辺と稲荷山地区との間には[[田畑]]が多く残されており、地区として明確に分断された関係にある。{{要出典範囲|そのため駅所在地の実際の地名から、駅名を「信濃塩崎」に変更しようと議論されたこともあった。|date=2008年8月30日 (土) 16:42 (UTC)}}
 
== 駅構造 ==