「スコット・マクレーン」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
35行目:
{{by|2001年}}に[[埼玉西武ライオンズ|西武ライオンズ]]に入団。同じ年に入団した[[アレックス・カブレラ]]とのコンビは「'''ツイン・バズーカ'''」と称され、この年は39[[本塁打]]を放った。翌{{by|2002年}}は手首の故障でシーズンの大半を棒に振ってしまうも、巨人との[[2002年の日本シリーズ|日本シリーズ]]では活躍し(11打数4安打)、主軸に座った。{{by|2003年}}は26本塁打を放つも、外角の[[変化球]]に弱いという弱点を覚えられたことで.225の低打率にあえぎ、[[ホセ・フェルナンデス]]と入れ替わる形で西武を解雇された。
 
{{by|2004年}}は[[シカゴ・カブス]]とマイナー契約を結んでいたが、カブレラが故障し、長距離砲の補強が急務だった西武に4月末に復帰した。しかし打率.181、本塁打4本と大きく期待を裏切ってこの年限りで再び解雇された。ただ、この年2軍では桁違いの実力を見せ、23本塁打で[[イースタン・リーグ]]の本塁打王に輝いている。なおこの年のマクレーンは[[野球の背番号|背番号]]「'''00'''」を使用したが、この数字が使われたのは西武ライオンズ球団史上初だった。
 
{{by|2005年}}から3A[[パシフィック・コーストリーグ]]で主にプレー。{{by|2006年}}は[[オークランド・アスレチックス]]傘下3Aで28本塁打、107打点を記録し、パシフィック・コーストリーグのMVPに選ばれた。