「神楽坂はん子」の版間の差分

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[[1968年]](昭和43年)はん子は急遽、歌手に復帰する。復帰に際し、はん子はそれまで暮らしていた住まいも引っ越し、関係者に対して「今までの13年間の女の生活を燃やしてきました」と語ったという。[[テレビ東京|東京12チャンネル]]の「[[なつかしの歌声]]」に出演し、「ゲイシャ・ワルツ」をはじめとした一連のヒット曲を披露したり、コロムビアでかつてのヒット曲をステレオで再録音したりもした。
 
1970年代後半以降、再び姿を消す。自らの事業失敗もあり、歌手活動は完全に引退状態となった。その後は一切復帰することなく、[[1995年]][[6月10日]]、[[埼玉県]][[川口市]]の武南病院で一人ひっそりと[[肝臓癌]]のため亡くなった。{{|1931|3|24|1995|6|10}}。一人暮らしの自宅には焼酎が散乱していたという。
 
神楽坂という地名を一躍全国区にしたのは神楽坂はん子の功績と言っても過言ではない。彼女に憧れて歌手になった神楽坂浮子も同様の発言を[[2006年]](平成18年)放送の「[[昭和歌謡大全集 (テレビ番組)|昭和歌謡大全集]] 第27弾」([[テレビ東京]])にてしている。