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[[File:Springfield Trapdoor breech open.JPG|thumb|left| Model 1888 ブリーチオープン]]
 
そのライフル本銃のカートリッジは「.45-70-405」と名づけられた。それは、.45口径、70グレイン(4.5 g)の黒色火薬によって推進される、405グレイン(26.2 g)の弾丸重量を示していた。それは、毎秒1,350フィート(410 m/s)の砲口初速だった。その時代の交戦戦術の為にそれを強力で効果的な装填量にしていた。
 
騎乗した騎兵が使用するカービンの反動を軽減する為に、炸薬量を55グレイン(3.6 g)に減装し、威力を低減した「.45-55-405」カートリッジが製造された。それに対応して、このカービン用カートリッジは、毎秒1,100フィート(340 m/s)の減少した砲口初速と、いくらか減少した有効射程だった。
 
ライフル本銃は元々、[[銅]]製カートリッジとともに支給されて、1800年代後半にアメリカ西部で使用されたが、兵士達はすぐに、銅が発の際に薬室で過度に膨張することに気がついた。これは、使用済み薬莢の抽出を妨げることで、ライフルを時々詰まらせた。ジャム(弾詰まり)は、ナイフの刀身か同様の道具による手作業での抽出を必要とした。
 
この銃のカービン型には薬室に張り付いた薬莢を取り除く為の[[槊杖]]が付属しておらず、ジャムは、戦闘では棍棒としてしか役に立たないカービンを与えるかもしれなかった。
 
1876年6月の[[リトルビッグホーンの戦い]]での、[[ジョージ・アームストロング・カスター]]将軍中佐の大隊(カービンと.45-55弾薬で武装していた)の全滅の後で、調査は、彼らのカービンのジャムが敗因かもしれないことを公表した。
 
次にカートリッジは、銅ほどには膨張しない材料である[[真鍮]]製薬莢で再設計された。これは重要な改良であることがわかり、真鍮はアメリカの軍用カートリッジにおいて、その時から現在まで使用される主要材料になった。