「哲学史」の版間の差分

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==イスラム哲学==
{{seealso|イスラム哲学}}
古代ギリシャ哲学は[[イスラム世界]]に受け継がれた。イスラム世界において、アッバース朝の[[カリフ]]、[[マームーン]](786年-833年)は国家的事業として、ギリシャ語文献を翻訳させた<ref>『岩波 哲学・思想事典』【イスラーム哲学】.p76-77</ref>。翻訳センター・研究所・天文台である「[[知恵の館]]」が設けられた。翻訳の大半は、[[ヤコブ派]]、[[ネストリオス派]]などの[[東方キリスト教]]徒が、[[シリア語]]を介して行った<ref>『岩波 哲学・思想事典』【イスラーム哲学】.p76-77</ref>
 
ギリシャ哲学のアラビア語への翻訳で中心を占めたのは、[[アリストテレス]]とその注釈者の著作であった<ref>『岩波 哲学・思想事典』【イスラーム哲学】.p76-77</ref>
 
[[ネオプラトニズム]]については、プロティノスやプロクロスの原典からの直接の翻訳が行われず、ネオプラトニズムの著作がアリストテレスの著作だとして伝わることになった<ref>『岩波 哲学・思想事典』【イスラーム哲学】.p76-77</ref>
 
[[キンディー]]はイスラーム最初の哲学者と言われる<ref>『岩波 哲学・思想事典』【イスラーム哲学】.p76-77</ref>
[[アル・ラーズィー|イブン=ザカリーヤー・ラージー]]は、アリストテレスの哲学ではなく、原子論や[[プラトン主義]]の影響を受けた珍しい哲学を展開した<ref>『岩波 哲学・思想事典』【イスラーム哲学】.p76-77</ref>
[[ファーラービー]]は、[[唯一神|神]]から10の知性(=[[ヌース]])が段階的に流出(放射)すること、そして第10の知性が月下界を司っている能動知性で、そこから人間の知性が流出している、という理論を打ち立てた<ref>『岩波 哲学・思想事典』【イスラーム哲学】.p76-77</ref>。政治哲学の分野でも、アリストテレスを採用せず、(ネオプラトニスムでは忘れられていた)[[プラトン]]的政治論を採用した<ref>『岩波 哲学・思想事典』【イスラーム哲学】.p76-77</ref>
'''[[イブン=シーナー]]'''([[アヴィセンナ]])はイスラーム哲学を完成させたと言われている。
 
イスラームのイベリア半島(スペイン)においては、[[イブン=ルシュド]]が、アリストテレス研究を究め、アリストテレスのほぼ全著作についての注釈書を著した<ref>『岩波 哲学・思想事典』【イスラーム哲学】.p76-77</ref>。そして[[イブン=シーナー]]のネオプラトニスムを廃し、純粋なアリストテレス主義に回帰しようとした<ref>『岩波 哲学・思想事典』【イスラーム哲学】.p76-77</ref>
 
==スコラ学==
ヨーロッパにおいて、
11-12世紀にかけて、[[大学]](universitas)で、[[リベラル・アーツ]]とこれを統べる哲学部、神学部、[[法学]]部、[[医学]]部の4学部ができ、これら諸学問の諸問題を、[[理性]]でdialectic([[弁証論]]的)に探究し、厳密な知識を獲得してゆく方法で発展していった<ref>『岩波 哲学・思想事典』【スコラ哲学】.p871-873</ref>。これは'''[[スコラ学]]'''と呼ばれている。
 
'''[[アンセルムス]]'''(1033 -1109)が、[[信仰]]から出発し、信ずることがらを理性によって可能な限り理解しようとした。信仰の真理を哲学的思考によって洞察してゆく神学的方法である<ref>『岩波 哲学・思想事典』【スコラ哲学】.p871-873</ref>。「'''fides quaerens intellectum''' (理解を求める信仰)」と呼ばれる<ref>『岩波 哲学・思想事典』【スコラ哲学】.p871-873</ref>
 
[[ペトルス・アベラルドゥス]](1079 - 1142)はdialectica ([[弁証論]])を探究し、スコラ学にそれをもたらした。アンセルムスとアベラルドゥスがスコラ学の土台を作ったとも言われるが、ここでは理性は神の存在を疑うために用いてはならず、「哲学は神学のはしためである。」とされたのである。
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==日本の哲学==
[[西田幾多郎]](1870 - 1945)は、フッサール現象学などの[[西洋哲学]]および[[仏教]]などの[[東洋哲学]]の理解の上に、『[[善の研究]]』(1911)を発表、知情意が合一で主客未分である[[純粋経験]]の概念を提起した。またその後、[[場所の論理]]あるいは[[無の論理]]の立場を採用した。彼の哲学は「[[西田哲学]]」と呼ばれるようになった<ref>『岩波 哲学・思想事典』【西田幾多郎】.p1207-1208</ref>
 
[[井筒俊彦]](1914 - 1993)は、[[イスラーム思想]]を研究し、Sufism and Taoism(1966-67、1983)では、[[イスラーム]]と[[老荘]]の神秘思想を分析し、それらがともに持つ一元的世界観を指摘し、世界的にも高い評価を得た。そして晩年には『[[意識と本質]]』(1983)などを著し、東アジア・インド・イスラーム・ユダヤの[[神秘主義]]を元に、ひとつの東洋哲学として構造化することを試みた。<ref>『岩波 哲学・思想事典』【井筒俊彦】</ref>
 
東洋にも哲学はありインドと中国は大きな影響を持っている。日本哲学は伝統的には中国の影響を受けて来たが、現代ではヨーロッパの影響も無視出来ないものがある。