「社会選択理論」の版間の差分

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実際に[[実証政治理論]](positive political theory)と呼ばれる、社会選択理論を摂取した分野が[[1960年代]]に確立された。この実証政治理論の中心的な担い手は、[[ロチェスター大学]]政治学部の教授を長年務めた[[ウィリアム・ライカー]]とその門下生であった。ライカー達は自己の[[効用]]を最大にするという行動原理に基づいて形成された個人の選好から、個人の集合体としての社会の決定を導くプロセスとして政治を捉えた。このような特徴を持つ政治を分析するための道具としてライカーらは社会選択理論と[[ゲーム理論]]を中心に据え、この二つを核に実証政治理論を確立した。<ref>個人の選好を分析の出発点とし、その選好は各個人の効用関数が反映されたものであると考える実証政治理論は、次の二つのことを基本的な仮定としている。第一に政治現象を個人の相互作用の帰結と捉えることである。これは個人の選択・行動の分析の焦点を当て、個人のレヴェルから分析を積み上げるものである。すなわち実証政治理論は[[方法論的個人主義]]に基づく理論である。第二に各個人はそれぞれ自己の効用を最大化しようと行動すると仮定することである。つまり実証政治理論は個人の[[合理性]]を仮定している。方法論的個人主義と個人の合理性の仮定に基づく分析視角を、政治学では[[合理的選択理論]]と呼んでいる。実証政治理論もこの合理的選択理論に分類される。</ref>。
 
しかし、主流派の政治学においては[[社会学]]の影響が強く、主に[[経済学]]から発展した社会選択理論は必ずしも高い評価を得ていない。従来の政治学は[[利益団体]]など[[集団]]を基礎に政治過程を捉えてきたが、その方法論は個人を分析の基礎とする、すなわち[[方法論的個人主義]]に依拠する社会選択理論ないしは実証政治理論とは全く異なるものであったからだ。従って実証政治理論の政治学に占める地位も、当初はごく小さいものであった。り、実証政治理論は異端視されていたと言ってよい状況にあったわけだ<ref>例えばこの状況を裏付けるエピソードとして、ロチェスターで博士号([[Ph.D.]])を得た研究者の就職状況が挙げられる。彼らは[[アイビーリーグ]]を筆頭とした政治学の研究の盛んな名門校に就職することは出来なかった。彼らの就職先は[[カリフォルニア工科大学]]や[[カーネギーメロン大学]]など自然科学に重点を置いていた大学、或いは社会科学に関しては新興勢力であった大学に限られていた。その後実証政治理論を含む合理的選択理論が台頭するに連れて、これらの大学の政治学もしくは社会科学部門は高い評価を得るようになる。それだけにとどまらず、実証政治理論を専攻した研究者たちが[[ハーヴァード大学]]、[[スタンフォード大学]]、[[プリンストン大学]]などのメジャーな名門校に職を得る結果をもたらした。</ref>。また実証政治理論の研究者たちは、その初期の段階において抽象的な理論的研究に力を入れてきた<ref>その代表的な成果が[[リチャード・マッケルヴィー]]による[[マッケルヴィーの定理]]の発見であった。マッケルヴィーの定理は一般に争点次元が二次元以上となる場合の決定はかなり不安定で、決定に参与する或る個人が[[議事]]操作を行って自分の望む結果を実現することが可能であることを示している。</ref>。このことも実証政治理論が異端視される要因となったと考えられる。しかし[[1980年代]]以降、実証政治理論やその基礎となる社会選択理論の有意性は認められることとなった。その契機となったのは[[アメリカ合衆国議会|アメリカ連邦議会]]研究に代表される、実証政治理論による政治過程の実証的な分析の本格化であった。現在では実証政治理論は政治学における最も有力な分析手法の一つである<ref>政治学における最も権威ある学術誌の一つ''American Political Science Review''(APSR)に掲載される論文の約40%は実証政治理論を含む合理的選択理論に基づくものであると言われている。</ref>。
 
== 社会選択理論と厚生経済学 ==