「ビール純粋令」の版間の差分

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[[1871年]]に[[プロイセン王国|プロイセン]]王[[ヴィルヘルム1世 (ドイツ皇帝)|ヴィルヘルム1世]]がドイツ皇帝に就き[[ドイツ]]を統一した際に、バイエルンは統一の前提条件として、ドイツ全土へのビール純粋令の適用を求めた。これには他の地方の醸造業者が強く反発したものの、[[1906年]]にはドイツ全土でビール純粋令が適用された。ピルスナータイプのビールの流行と相まって、スパイス等を使用したビールのほとんどがドイツから姿を消すことになった。
 
[[第一次世界大戦]]敗戦後の[[ワイマール共和国]]や[[ナチス・ドイツ]]<!--の第三帝国 現状ではナチス・ドイツ>第三帝国なのでコメントアウト-->においてもビール純粋令は継承されていた。ただしドイツの東西分断時代、[[ドイツ民主共和国]](東ドイツ)においてはこのビール純粋令に則らないビールも醸造されていた。
 
しかし、[[欧州共同体|EC]]発足に際してビール純粋令は非関税障壁として問題となる<ref name="kimura2006p30"/><ref name="hasida2008"/>。[[1987年]]、[[欧州裁判所]]は、ビール純粋令は保護主義を禁じている[[ローマ条約]]に間接的に違反していると判断を下す<ref name="kimura2006p30"/>。この結果ビール純粋令は、ドイツ国内の醸造業者によるドイツ国内向けのビール醸造のみを対象とすることとなり、国外への輸出ビールや、国内への輸入ビールには適用されなくなった<ref name="kimura2006p30"/>。
 
[[1993年]]、ドイツ政府はビール純粋令をビール酒税法の一部として改めて法制化した<ref name="kimura2006p30"/>。この新しい法では、醸造に用いる酵母によって、原料を制限している<ref name="kimura2006p30"/>。
 
現在でもドイツ国内の醸造所の多くは、ビール純粋令の内容によりドイツビールの品質が支えられ、市場競争力を得ているものと考えており、これを指針としてビール作りを続けている。例えば、バイエルンの醸造業者は、1993年の法制化にて上面発酵ビールでは使用を認められている砂糖も使うことなく、従来のビール純粋令に従って醸造している<ref name="kimura2006p30"/>。理由は、ビール純粋令に従って醸造したビールは消費者から支持を受け、ブランドを守ることができるからである<ref name="kimura2006p30"/>。