「池宮彰一郎」の版間の差分

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[[司馬遼太郎]]の事を深く尊敬しており、口演にて、「日本の小説は[[私小説]]が主体であったが、司馬遼太郎の歴史小説は大河的であり、日本の小説の流れを変えた作家であった」との内容を述べている。また、「歴史小説はそれまでの[[歴史考証]]にとらわれ過ぎてもならないし、逆に歴史を全く無視してもならない」と述べ、独自の歴史考証を行うことで新感覚の歴史小説を作っていた。
 
『四十七人の刺客』では大胆な考証を多数織り交ぜ、映画化を果たしたこともあり話題となった。例えば、江戸の町は治安のため、夜間は町ごとに門を設けて通行できないようにしてあった。当然[[四十七士]]は移動のための工夫が必要であったはずで、池宮は大胆にも水路の移動が最も合理的であると判断し、作中でそのように描いた。
 
作品全体を見れば、独自の視点を沢山盛り込んでおり、クリエイティブな作家であったが、デビュー当初ですでに老齢でもあり、以下の様な盗作疑惑を招くこととなってしまう。
 
;盗作疑惑
『遁げろ家康』([[朝日新聞社]])は[[司馬遼太郎]]の『[[覇王の家]]』との類似点を指摘され、[[2002年]][[12月25日]]に絶版・回収となる。同じく『島津奔る』([[新潮社]])も司馬の『[[関ヶ原 (小説)|関ヶ原]]』と同様の類似の問題で、[[2003年]][[4月3日]]に絶版・回収となった。池宮は、「家内の病気や引っ越し、連載が重なり混乱し、資料と先輩作家たちの作品が混ざってしまった。自戒の意味から絶版をお願いした」とのコメントを発表した。ネタ元があまりにも有名すぎるだけに、この弁明にはある程度の信憑性もあるが(常識で考えて露見しないはずがなく、その危険に考えが及ばなかったこと自体、混乱した精神状態であったことを伺わせる)、一方で話題性も大きく作家生命を痛撃することになった。
 
この2作以外にも「類似」を指摘する声あり、事件以後連作の『平家』を除いて新作が出版されることはなかった。ただしその後も『密約―西郷と大久保』を雑誌『[[野性時代]]』に連載していたが、第一部で未完となった。
 
2007年5月6日午後8時26分、[[肺癌]]のため自宅で死去した。享年83。
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