「松柳亭鶴枝」の版間の差分

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人物から動物まであらゆる百面相を得意とした。初代から何度も伝授を懇願したが、初代は「よしねぇよ、労多くして功少なしと伝う奴だから、同じ苦労するなら噺を身を入れた方が好いぜ」となかなか教えてくれなかったという。しかし晩年に病床で顔芸を教わり息を引き取ったという美談が残っている。
 
[[上方落語|上方]]では[[三友派|浪花三友派]]に招かれており初代同様に「鮹のゆであがり」を演じ風貌までもが鮹に似ていたので「タコの鶴枝」とあだ名された。
 
[[享年]]61(満59歳没)。墓は[[妙源寺]]、[[戒名]]は真敬院法喜信士。