「山本寛 (アニメ演出家)」の版間の差分

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『らき☆すた』の監督を降板した際に京都アニメーションが社内判断の理由として用いた「'''その域に達していない'''」というフレーズを、手がけた作品のセリフやプロモーションに頻繁に用いている。『[[ケメコデラックス!]]』オープニング監督を降板した際には、山本との親交がある監督の[[水島努]]がブログで「山本さんの枕詞」と、冗談めかして書いている<ref>[http://blog.goo.ne.jp/mizshima1941/e/d6269ead67c2e2062bf9b1f4e2eb58e5]</ref>。
 
ライバル視している演出家として、シンエイ動画に所属している[[高橋渉 (アニメ演出家)|高橋渉]]と、[[J.C.STAFF]]を中心に活躍している[[長井龍雪]]を挙げている。他に興味のある監督には[[細田守]]、[[原恵一]]、[[新海誠]]の名前を挙げており、理由としては自身を無個性と分析しているため、個性を持っている作家を好むと語っている<ref name="b">「オトナアニメvol.6」山本寛INTERVIEW</ref>。また、「アニメ作品を見る場合はどうしても作家に寄るもの」([[作家主義]])と述べており自身が好む監督に宮崎駿、庵野秀明の名前を挙げている<ref name="a"/>。「『[[新世紀エヴァンゲリオン|エヴァ]]』はアニメにおける[[ヌーヴェルヴァーグ]]である」という賞賛と持論を展開しながらも<ref name="b"/>、同作には「アニメ史的に積み残したものがある」として「ポストエヴァ」の作品を意識的に作っていくという態度を取っている<ref name="c">「季報 唯物論研究 104号」アニメ批評家はまだ生まれていない”</ref>。
 
作曲家の[[神前暁]](『涼宮ハルヒの憂鬱』音楽担当)は高校・大学の同期生で、彼が関わる作品に多く参加している<ref>ちなみに京都アニメーションに所属する[[マネージャー]]の[[村元克彦]](『涼宮ハルヒの憂鬱』第4・6話脚本)も大学の同期生で、前述の自主映画に参加している。</ref>。
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== プライベート ==
関西の映像サークル「スタジオ枯山水」にも所属しており、自主制作映画にも関わっているが最近は本業が忙しいため一歩引いている様子。同サークルのホームページには「妄想ノオト」という彼が持つコーナーがあり、そこでは歯に衣着せぬ映画評論を行なっていた<ref>[[2007年]]4月末に山本自身の多忙を理由にホームページを縮小、閉鎖した。その後2007年8月に再開した。</ref>。「アニメには批評が必要」というのが持論で「妄想ノオト」は出張版として「オトナアニメvol.6」より復活、その後のインタビューでも主張を続けている<ref>「アニメージュ」2008年7月号</ref><ref>「季報 唯物論研究 104号」アニメ批評家はまだ生まれていない”</ref>。再開時前後のインタビューで「妄想ノオト」について問われた際は、「(自分が)わかってない事がわかった」とコメントした<ref name="a"/>。
 
[[アイドル]]好きでも知られ、自身が演出を手掛けた『涼宮ハルヒの憂鬱』エンディング『[[ハレ晴レユカイ]]』にもその影響が垣間見える。『涼宮ハルヒの憂鬱』でのアイドル研究部員「山根」(アニメオリジナルキャラ)は[http://www.kyotoanimation.co.jp/haruhi/diary/20060511.html 京アニサイト制作日誌5月11日の発言]および外観上の特徴から彼がモデルと推定される。他にも、『涼宮ハルヒの憂鬱』第1話「朝比奈ミクルの冒険」で用いられた強烈な[[電波ソング]]『[[涼宮ハルヒの詰合 〜TVアニメ「涼宮ハルヒの憂鬱」劇中歌集シングル〜|恋のミクル伝説]]』は作詞を手掛けている。また『涼宮ハルヒの憂鬱』の番組CMでは、電車の乗客役で出演している。山本の特徴的な演出であるOPやEDでダンスを踊らせるのもこの影響であるが、この演出は『[[かんなぎ (漫画)|かんなぎ]]』で最後にすると語っていた<ref>「[[月刊ニュータイプ|月刊Newtype]]」 2008年11月号、監督インタビュー</ref>が、映画「私の優しくない先輩」において、山本自身は視聴者にも飽きがある等渋りつつも、プロデューサーからの強い要請により条件を付けながらも4度目の実現に至った。なお毎回ダンス・振り付けのテーマスタイルは変わっている。