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築城時期は不明だが、鎌倉期初頭から室町時代にかけて、この地を[[祢津氏]]庶流[[春日氏]]が支配していたため、春日氏の者による築城を思われる。
 
[[永正]]13年([[1515年]])、[[信濃国]]の[[佐久郡]]望月地方の豪族[[望月氏]]に攻められ祢津氏系春日氏は滅ぼされ、その後は望月氏系春日氏の居城となった。
 
[[天文 (日本)|天文]]10年([[1541年]])、[[武田氏]]の佐久侵攻後、望月氏は武田氏に属し、春日城も依田系[[芦田信守]]の属城となった。
 
武田氏滅亡後徳川氏の家臣となった[[依田信蕃]]が、[[天正]]10年([[1582年]])[[真田昌幸]]の協力を得て春日城を本拠にし、[[望月城]]はじめ佐久の諸城を攻略したが、翌年天正11年([[1583年]])大井行吉が守る岩尾城を攻撃中に弟と共に戦死。大久保忠世が後見として佐久郡を治めたが、天正18年([[1590年]]に上野国石倉城攻めで討死にし、春日城もこの頃廃城になったと考えられている。