「コンスタンス・ド・ブルターニュ」の版間の差分
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夫の死によってコンスタンスは初めて権力の行使に関わることになった。しかし、ブルターニュ公の宗主たるヘンリー2世は、コンスタンスを第4代チェスター伯ラヌルフ(ラヌルフ・ド・メシーヌ、あるいはラヌルフ・ド・ブロンドヴィル - [[ロビン・フッド]]の物語ではリチャードの腹心とされる)と再婚させた。
1196年、コンスタンスは8歳になったばかりの息子アルテュールを、貴族たちの集会でブルターニュ公として認めさせた。こういった意図を挫くために、リチャード獅子心王は彼女を夫に命じて監禁させた。コンスタンスの監禁場所はポントルソンかタイレであったと思われる。解放されるとコンスタンスは夫と別れ、ギ・ド・トゥアール(トゥアール[[副伯]])と再婚した。この結婚によって、[[アリ
コンスタンスは、人生の最後の数年を平和に過ごし、自分の死後に起こる子供たちの悲運を知らぬまま、1201年に亡くなった。遺体は[[ヴィルヌーヴ]]の教会に葬られた。
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