「ティベリウス・クラウディウス・ネロ」の版間の差分

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その後[[共和政ローマ|ローマ]]はブルートゥス、カッシウスら共和派と[[マルクス・アントニウス]]、オクタウィアヌス(のちの[[アウグストゥス]])、[[マルクス・アエミリウス・レピドゥス]]の[[三頭政治|三頭官]](国家再建三人委員会)との間で再度の内戦に突入する。この間ティベリウス・ネロはアントニウスに接近したようで、この後三頭官の間で確執が生じるとオクタウィアヌスに対立して行動していく。
 
[[紀元前41年]]に[[法務官|プラエトル]]に就任する。この年の冬にマルクス・アントニウスの弟でこの年の[[執政官|執政官(コンスル)]][[ルキウス・アントニウス]]とマルクスの妻[[フルウィア]]がオクタウィアヌスに反抗してペルシア(現在の[[ペルージャ]])で蜂起すると、ティベリウス・ネロもこれに加わった。ペルシアでの敗北後ティベリウス・ネロは妻子を連れてプラエネステ、ナポリと逃走するが、この間にも失敗に終わったものの、解放の条件で奴隷の軍団を組織しようとするなどしている。
 
その後、同じくオクタウィアヌスと対立していたポンペイウスの息子[[セクストゥス・ポンペイウス]]のいる[[シチリア島]]へ逃走したが、ポンペイウスから軍の指揮権を与えられなかったためマルクス・アントニウスのいる[[アカイア]]へと渡った。
この年紀元前40年にアントニウスとオクタウィアヌスとの間では和平が締結され、翌年ティベリウス・ネロは家族と共に[[ローマ]]に帰還する。このローマでオクタウィアヌは初めて出会ったリウィアに惹かれ、結婚を強く望むようになる。ティベリウス・ネロはこの要望を受け入れ、身重の妻と離婚した。[[紀元前38年]][[1月17日]]にリウィアとオクタウィアヌスは結婚し、その後リウィアは次男ドルススを出産した。
 
ティベリウス・ネロは長男ティベリウスと生まれたばかりの次男ドルススを養育したが紀元前33年に死亡した。このとき[[フォルム・ロマヌム]]での追悼演説は長男ティベリウスが務めた。ティベリウス・ネロの没後、ティベリウスとドルススはリウィアに引き取られアウグストゥスの継子として成長していくことになる。
 
[[Category:古代ローマ人|ていへりうす_くらうていうす_ねろ]]
 
[[en:Tiberius Nero]]
[[hu:Tiberius Nero]]
[[nl:Tiberius Claudius Nero (vader)]]
[[sv:Tiberius Claudius Nero]]
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