「鹿島アントラーズ」の版間の差分

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[[2003年のJリーグ|2003年]]では[[A3チャンピオンズカップ]]初代王者を獲得。[[柳沢敦]]が[[セリエA (サッカー)|イタリア]]の[[サンプドリア]]へ期限付きで移籍(2005年に[[FCメッシーナ]]へ完全移籍)した。[[2003年のJリーグカップ|ヤマザキナビスコカップ]]では2年連続決勝に進出するも、浦和レッズに0-4で敗れて連覇はならなかった。以後、Jリーグ初の10個目のタイトル、「10冠」の達成が鹿島の悲願として掲げられた。
 
[[2004年のJリーグ|2004年]]は優勝争いに関われずに終わったが、J1が1ステージ制に移行した[[2005年のJリーグ|2005年]]は開幕ダッシュに成功し、一時は2位に勝ち点差10以上をつけるなど優勝争いを引っ張っていった。しかし、中盤に入ると[[ガンバ大阪]]や浦和レッズ、ジェフ千葉、[[セレッソ大阪]]に追いつかれてしまい、優勝の可能性が残っていた[[2005年J1最終節|最終節]]では勝利したものの、結局3位でシーズンを終えた。この2年間はヤマザキナビスコカップや天皇杯でも早期敗退が続き、[[中田浩二 (サッカー選手)|中田浩二]]が[[リーグ・アン|フランス]][[オリンピック・マルセイユ|マルセイユ]]に移籍問題も発生してするなど、チームは過渡期を迎えた。2005年シーズンの終了後、6年に渡り監督を務めたトニーニョ・セレーゾが勇退した。
 
[[2006年のJリーグ|2006年]]は、ブラジルの名門[[サンパウロFC]]をFIFAクラブ世界選手権(現 [[FIFAクラブワールドカップ]])優勝へ導いた[[パウロ・アウトゥオリ]]監督が就任。更にFWの[[柳沢敦]]が復帰、高卒ルーキーのサイドバック[[内田篤人]]の活躍などがあったが、シーズン途中に大黒柱だった[[小笠原満男]]が[[FCメッシーナ]]([[セリエA (サッカー)|イタリア]])へ翌年6月までの期限付きで移籍してしまい、リーグ戦での成績は伸び悩んだ。[[2006 FIFAワールドカップ]]の[[2006 FIFAワールドカップ参加チーム#日本|日本代表]]には小笠原満男と柳沢敦が選出。一方で[[2006年のJリーグカップ|ヤマザキナビスコカップ]]では3年ぶりに決勝に進出したが、10冠がかかった決勝でジェフ千葉に敗戦。4年振りの同杯獲得はならなかった。[[第86回天皇杯全日本サッカー選手権大会|天皇杯]]では、同年限りで引退を表明した本田泰人を優勝で送り出そうとするも準決勝で浦和レッズに敗れた。結局、パウロ・アウトゥオリ監督は1年で退任し、ブラジルへ帰国した。