「中国文学」の版間の差分

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文学について
儒教史ではなく文学史の観点から書き直した
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== 歴史 ==
=== 古代 - 秦 ===
[[儒教]]史上各国の文学同様、中国文学も文字書かれる以前から口承文芸の形で存在し音楽性を伴った[[孔子歌謡]](紀元前551年 - 479年)により『[[五経]]』編纂さ歌わていと言われる五経とじめて歌謡を採集して文字の形で残したのが『[[詩経]]』である。[[易]]は古くは[[書経]]と呼ばれ、[[礼記押韻]]』『を伴う四言詩であり、[[春秋韻文]]』のこと。文学上でいえば、五経中の詩経は韻文の始祖と言える叙情詩[[アンソロジー]]『国ある。「』『小(民謡)」「』『大雅』『(宮廷音楽)」「(祭礼音楽)」3つからなり、黄河流域で発生した。『詩』は[[戦国時代 (中国)|戦国時代]]には[[儒家]]の重要な6つの経典、[[六経]]の一つに挙げられている。この後揚子江流域で『[[楚辞]]』が生まれ、これは後に[[]]へと続く。
 
他にこの時代の儒教文献として、[[北宋 |宋散文]]代の儒教(宋学)において重視されるようになるでは『[[書経|尚書]]』という歴史書ある。編まれたが、これは政治演説集といった性格を持っている。また『[[大学春秋]]』という記事を羅列する歴史書が編まれた。これらも儒教の六経に挙げられている。[[中庸戦国時代]]』『[[孟子]]』『[[論語]]』の四つを指す。またになると、[[諸子百家]]と称される思想家たちが『[[論語]]』『[[老子]]』『[[荘子 (書物)|荘子]]』『[[韓非子]]』『[[孫子]]』といった哲学上の重要的・思想的文献である作品を残した学上では、[[前漢]]代に[[司馬遷]]によって『[[史記春秋左氏伝]]』といった作品され、史学という学問も独立へと向かい、文学と併せ、中国独自の経(儒教)・史(史学)・子(儒教以外の哲学)・集(文学)とう学問体系の基礎が形成される。
 
*[[東洋哲学]]、[[老荘思想]]も参照せよ。
 
=== 漢 - 唐中期 ===
漢代では[[韻文]]では『楚辞』の系統である[[賦]]が隆盛し、[[司馬相如]]らが活躍した。武帝の時、音楽採集を担当する官署である楽府によって民間[[歌謡]]が採集され、[[楽府]]と呼ばれた。
[[司馬相如]]らによる賦の時期を経て、民間の歌から五言詩が生まれた。一行五音(五字)にそろえられたこの形式はその後数百年にわたり文学の中心になった。[[三国時代 (中国)|三国時代]]の[[魏 (三国)|魏]]国の親子[[曹操]]、[[曹丕]]、[[曹植]](192年 - 232年)、その後の[[阮籍]](210年 - 263年)らが知られる。後漢の建安年間(196年 - 220年)に曹操らによるサロンを中心に栄えた新しい文学を[[建安文学]]と呼ぶ。[[建安の七子]]と呼ばれる人々が活躍した。
 
[[散文]]では、[[司馬遷]]によって『[[史記]]』が著され、後代に歴史書編纂に大きな影響を与えた。
[[西晋]]が中国を統一すると、[[陸機]]・[[左思]]などが活躍する。続いて[[茶]]などの文化が発展した[[南北朝時代 (中国)|南北朝時代]]に入ると、[[陶淵明]](365年 - 427年)が活躍した。
 
=== 魏晋南北朝時代 - 唐中期 ===
この時代、民間の歌から五言詩が生まれた。一行五音(五字)にそろえられたこの形式はその後数百年にわたり文学の中心になった。
[[司馬相如]]らによる賦の時期を経て、民間の歌から五言詩が生まれた。一行五音(五字)にそろえられたこの形式はその後数百年にわたり文学の中心になった。[[三国時代 (中国)|三国時代]]の[[魏 (三国)|魏]]国の親子[[曹操]]、[[曹丕]]、[[曹植]](192年 - 232年)、その後の[[阮籍]](210年 - 263年)らが知られる。後漢の建安年間(196年 - 220年)に曹操らによるサロンを中心に栄えた新しい文学を[[建安文学]]と呼ぶ。[[建安の七子]]と呼ばれる人々が活躍した。
 
[[西晋]]が中国を統一すると、[[陸機]]・[[左思]]などが活躍する。続いて[[茶]]などの文化が発展した[[南北朝時代 (中国)|南北朝時代]]に入ると、[[陶淵明]](365年 - 427年)が活躍した。
 
その後、[[宋 (南朝)|宋]]・[[南斉 |斉]]・[[梁 (南朝)|梁]]の三代にわたって活躍した[[沈約]]や、沈約が出入りした南斉の竟陵王[[蕭子良]]の西邸のサロンが文学の中心となる。沈約と共に、その西邸の「八友」に数えられた[[武帝 (梁)|蕭衍]]も当代一流の文化人であり、梁朝の創業者ともなる。また、蕭衍の子の昭明太子[[蕭統]]が編纂した『[[文選 (書物)|文選]]』は古代より[[六朝]]に至る主要な名文を集めた[[アンソロジー]]として中国の後代のみならず、日本においても広く受容された。さらに、梁の[[劉勰]]は、文学理論書である『[[文心雕龍]]』を著した。
 
小説は、『[[捜神記]]』や「[[桃花源記]]」に代表される[[志怪小説]]が発達した。
 
この時代、史学という学問も独立へと向かい、文学と併せて、中国独自の経(儒教)・史(史学)・子(儒教以外の哲学)・集(文学)という学問体系の基礎が形成される。
 
=== 唐 - 清 ===