「中国文学」の版間の差分

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儒教史ではなく文学史の観点から書き直した
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[[散文]]では、[[司馬遷]]によって『[[史記]]』が著され、後代に歴史書編纂に大きな影響を与えた。
 
=== 魏晋南北朝時代 - 唐中期 ===
この時代、民間の歌から五言詩が生まれた。一行五音(五字)にそろえられたこの形式はその後数百年にわたり文学の中心になった。
[[三国時代 (中国)|三国時代]]の[[魏 (三国)|魏]]国の親子[[曹操]]、[[曹丕]]、[[曹植]](192年 - 232年)、その後の[[阮籍]](210年 - 263年)らが知られる。後漢の建安年間(196年 - 220年)に曹操らによるサロンを中心に栄えた新しい文学を[[建安文学]]と呼ぶ。[[建安の七子]]と呼ばれる人々が活躍した。阮籍や[[嵆康]]らの詩風は魏の[[正始]]年間([[240年]] - [[249年]])から[[正始体]]と呼ばれている
 
[[西晋]]が中国を統一すると、[[陸機]]・[[左思]]などが活躍する。続いて[[南北朝時代 (中国)|南北朝時代]]に入ると、[[陶淵明]](365年 - 427年)が活躍した。
 
その後、[[宋 (南朝)|宋]]・[[南斉 |斉]]・[[梁 (南朝)|梁]]の三代にわたって活躍した[[沈約]]や、沈約が出入りした南斉の竟陵王[[蕭子良]]の西邸のサロンが文学の中心となる。沈約と共に、その西邸の「八友」に数えられた[[武帝 (梁)|蕭衍]]も当代一流の文化人であり、梁朝の創業者ともなる。また、蕭衍の子の昭明太子[[蕭統]]が編纂した『[[文選 (書物)|文選]]』は古代より[[六朝]]に至る主要な名文を集めた[[アンソロジー]]として中国の後代のみならず、日本においても広く受容された。さらに、梁の[[劉勰]]は、文学理論書である『[[文心雕龍]]』を著した。なお[[六朝時代]]に隆盛した文体は対句や典故を多用する[[駢文]]である
 
小説は、『[[捜神記]]』や「[[桃花源記]]」に代表される[[志怪小説]]が発達した。