「ヴィルヘルム1世 (ヴュルテンベルク王)」の版間の差分

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[[1781年]][[9月27日]]、ヴュルテンベルク公フリードリヒ2世とその妃であった[[アウグステ・カロリーネ・フォン・ブラウンシュヴァイク=ヴォルフェンビュッテル|アウグステ・カロリーネ]]([[1764年]] - [[1788年]])の間に第一子として[[リュッベン]]([[ブランデンブルク州]])に生まれた。[[1803年]]に公国は[[選帝侯]]国に、後の[[1806年]]には[[王国]]へ昇格し、ヴュルテンベルク公フリードリヒ2世はヴュルテンベルク王フリードリヒ1世となった。
 
ヴィルヘルムは[[1808年]][[6月8日]]に[[ミュンヘン]]で[[バイエルン|バイエルン]][[マクシミリアン1世 (バイエルン王)|マクシミリアン1世]]の王女[[カロリーネ・アウグステ・フォン・バイエルン|カロリーネ・アウグステ]]と結婚するが、彼女とは[[1814年]]に離婚した。次いで[[1816年]]に彼は[[サンクトペテルブルク]]で[[ロシア帝国君主一覧|ロシア]]皇帝]][[パーヴェル1世]]の皇女[[エカテリーナ・パヴロヴナ]](ドイツ語名カタリーナ、[[1788年]] - [[1819年]])と結婚し、彼女との間に[[オランダ君主一覧|オランダ王]][[ウィレム3世 (オランダ王)|ヴィレム3世]]妃となった[[ゾフィー・フォン・ヴュルテンベルク|ゾフィー]](1818年 - 1877年)ら二女をもうけた。またこの年、父王の死去を受けてヴュルテンベルクの王位を嗣いだ。
 
[[1820年]]、王妃カタリーナに先立たれていたヴィルヘルム1世は、従妹にあたる[[パウリーネ・フォン・ヴュルテンベルク (1800-1873)|パウリーネ]]と結婚した。彼女との間には[[ヴィルヘルム2世 (ヴュルテンベルク王)|ヴィルヘルム2世]]の母親となるカタリーナ(1821年 - 1898年)と、王太子となるカールが生まれた。